堀井崎家

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 闇から薄暗いベールを何枚も剥いだように、空の色が次第に変化して白々と夜が明けていく。女は今、赤子を取り上げたばかりの手を昇る太陽にかざしてみたが、その手は空を掴むだけだった。既に赤子の温もりは無い。  早朝だというのに歓声が止まない背後の家を振り返ると、心なしか家までも幸せに包まれているように見える。女は着ている木綿地のモンペで、もう一度両手を拭いた。赤子を取り上げたその後に、いつも何かが手の中からすり抜けていく気がしてモンペを握りこむのが癖になっていた。何一つ失くすまいとしても、いつのまにか失くなっていて、失くした気持ちだけが女を取り巻く。 「ううっ」 うめき声を上げてくずおれた。うずくまりながら、大きく出っ張った自分の腹をさする。あと一週間は保つだろうと思っていたが、先ほどのお産の刺激を受けたのだろうか。今度は自分の番だった。 「ひぃ、うっ!」 女は呻いて腹を抱え、片方の手で土に爪を食い込ませた。そして、自分の中から剥がれ落ちる業を、背後の家に宿る生命に注ぎ入れようと、身をよじった。  その年は満州国皇帝溥儀が来日し、靖国参拝をした年だった。
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