16人が本棚に入れています
本棚に追加
/39ページ
――あわい、ですか?
九月最後の家庭教師の日。
先生が唐突に告げた聞き慣れない言葉に、私は思わず小首を傾げる。そんな私に先生は、紙に"間"と書いて見せた。
――例えば、昼と夜の間の黄昏時。此方と向こうの両岸の間に位置する河川と橋。中央分離帯や道の半ばで交わる辻、物の隙間、年や季節の境目など、兎に角、中間や狭間、隙間などの間に存在するものを"あわい"と呼びます。
なるほど、と先生の説明に頷いたものの、あわいのなんたるかがわかったところで、先の警告の意味はまだわからない。
――十月になると、注意しなければならないような何かが、あわいにあるのですか?
尋ねると、彼は思案顔で視線を大きく左右に移してから軽く顎を引き、あわいとは、と口を開く。
――あわいとは、兎角、曖昧模糊な存在でして。
何かに挟まれなければ存在し得ず、どこに属するのかも定かでない。そんな不安定さ故に、あわいでは此岸と彼岸の境さえもが他に比べるとひどくあやふやで、彼岸へ繋がる門になり易い。
彼岸。
その如何にも物騒な単語を聞いて、私は少し身構えた。
警告という名目の下での先生の発言だとは把握していたが、どうやら防犯対策というよりも、オカルトだとか神秘系の話らしい。
冷厳な教師という印象が強いけれど、このひとは雑談や教示の他に、言霊、願掛けの仕方、厄除け等の、語り手によっては眉唾物になりそうな話を徹頭徹尾真顔で語ることがある。
先生がその手の話の信憑性を確信しているのか、彼なりのお茶目なのかは判断に困るところ(私はおそらく、前者だと思う)ではあるが、今までに聞いた先生の話で、損になるものなどなにひとつとしてなかった。
だが、今回の話についてはどうだろう。
――ええと……それはつまり?
あわいが彼岸の門になるとどうなるのか。
言外に尋ねたところ、彼の答えはやはり物騒だった。
――あわいなんかでうかうかしていると、下手をすれば、神隠しに遭いかねないということです。
予想通りの不安を掻き立てられる展開だ。
「まあ、平素で神隠しに遭うなんて、そうそうありませんよ」なんて、先生はフォローしたけれど、話はその後も続く。
――ですが、翌十月――神無月になると、事情は多少変わります。
日本に八百万いるとされる神が、一斉に持ち場を離れて出雲へ赴くこの月は、自ずと場が不安定になるものです。勿論、あわいも同様に……というか、かなり門が緩くなります。そういうことで――
ふとこちらを見据えた先生が、殊更低い声でこう告げた。
――まだこの世界にいたければ、十月のあわいにはみだりに関わらないように。
最初のコメントを投稿しよう!