秋の日にそれと出くわす

6/7
16人が本棚に入れています
本棚に追加
/39ページ
(捕まった!)  先生っぽいけどそうじゃない"それ"に掴まれた腕が、血の気が引いたようにみるみる冷たくなっていく。氷水が血管内を流れていくような冷たさに、体がブルリと震えた。  反射的に掴まれた腕を振り、相手から逃れようとしたけれど、冷たく凍った腕に力が入らず、思うように動かない。もう片方の手で左手首を取り、引き寄せるものの、私を掴む手はビクともしなかった。 (こわい)  目の前の人の顔を見遣るも、表情は虚ろなままだ。  なんだろう、この人は。私を捕まえて、どうするつもりだろう?  誘拐犯、神隠し、彼岸……様々な言葉が頭の中で閃くが、どれひとつとして救いに繋がるものはない。  その内に、相手は私の腕を掴んだまま踵を返し、河川に向かって歩き出す。どんなに踏ん張っても、引っ張られるのに抗えず、一歩、また一歩と河に近付いていく。  凍える風がビウビウと鳴きながら肌を掠め、チャプチャプと岸を打つ水音が次第に大きくなる。 (いや……いやだ! こわい! たすけて!) 「助けて、神さま!」 「神は留守だと教えた筈です」 「?!」  声が聞こえた。馴染みのある声だ。それと同時に、眼前に大きな黒い影が飛び込み、強い力に腕を取られる。  反射的に腕を見下ろすと、黒い袖から伸びる骨張った白い手が、私の腕と私を連れて行こうとする人の手首を掴み、グイと引き剥がすところだった。  私がどんなに抵抗しても離れなかった手はいとも容易く外され、白い手も役を果たしたと言わんばかりに、さっさと私から離れていく。  腕に残る二つの手の余韻が、己に差し迫る危機からの解放を実感させた。 (こ、こわかった)  安堵感からホッと息を吐くも、前方に人の気配を感じて、慌てて気を引き締める。  まだ、危機が完全に去ったわけではない。  私を連れて行こうとした先生っぽいあの人は、その顔面を突然割って入った黒い人の手で覆われていた。鷲掴みではない。ただ覆っただけ。だけど、先生っぽいものは見る間に黒い煙となって、空気に溶けるように消えてしまう。  その間、わずか数秒。瞬きをする隙もなかった。 「まったく。この月のあわいには注意なさい、と警告しましたよ、私は」  煙のように消えた人に代わって、私の前に姿を現したのは、黒髪に赤銅色の瞳を持つ、端正な顔立ちの青年だ。  黒のロングコートにタイトなズボン、ゆったりめのニットをラフに着こなすそのひとは―― 「先生!」 「どうも、今晩は」  容姿はいつもと違うけれど、間違いなく私の先生だった。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!