前編

2/9
18人が本棚に入れています
本棚に追加
/30ページ
 その白猫には『シロ』という名前がつけられていた。  小学校からの帰り道にある雑草の生い茂った寂れた空き地に、不法投棄らしい古びた廃車が捨てられていた。その廃車の下側でいつも隠れるように身を縮こまらせている丸々と太っている白い塊がシロだった。  自転車か何かに轢かれたのか、いつも左の後ろ脚を引きずって歩く姿が印象的だった。  五年一組のクラスメイトたちのうち何人かは、よく下校途中にその空き地に足を踏み入れて、こっそりとっておいた給食の残りを与えているのだった。もちろん、それは大人たちには秘密だったが。  シロは野良猫の癖に妙に人慣れしていて、子供たちが近づいても逃げることも威嚇することもなく興味もなさそうに身を丸めていた。そして、子供たちが餌を取り出すと、左の後ろ脚を大儀そうに引きずりながら歩いてその餌を食うのだった。首輪はしていなかったが、もしかしたらどこかの家で飼われていた猫で、飼い主に捨てられたのかもしれない。  僕はよくクラスメイトたちがシロに餌を与えている様子をシロの巣である廃車からやや離れたところから見守っていた。五、六人のクラスメイトたちが餌を食べているシロを可愛がり終えるまでいつもじっと待っていた。  僕はシロが好きではなかった。  というより、猫という生き物がひどく恐ろしかった。  以前、小学校に行く途中、狭い路地裏の暗闇で猫がネズミを丸かじりにしているところを目撃してしまったせいだ。それ以来、その明るいところで鋭く細まる金色の眼も、口元から覗く鋭い牙も、尖った爪も、僕にとっては恐怖の対象でしかなかった。  だから僕はシロにはなるべく近づかないようにしていた。それどころか、その金色の眼と視線を合わせないように空き地の隅へと視線を向けていた。帰り道に空き地へ立ち寄るのは、ただクラスメイトたちとの付き合いのためと、僕が猫を怖がっているということを悟られたくないという小さな意地のためだった。  不思議なことに、どうやらシロの方もそのことは理解しているようで、シロは僕の方へと近寄ろうとはしなかった。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!