魂が呼び合う

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コンテストの出品作品に桜と私を描くと言ったのに、阿久津先生は私にポーズをとらせることはしなかった。 その代わり、一日二十四時間いつでも私をデッサンしていいという許可が欲しいと言った。 「美桜が普通に生活しているところを描かせてくれ。ポーズをとった人形からは魂が掴めない」 ――魂を掴む。 そのフレーズは昔、聞いたことがあった。 あれはあの事故が起きる前、阿久津先生が大きな賞を取った時のことだ。 ちょうど学校の絵画コンクールで選に漏れてしまった私は、阿久津先生にどうしてそんなに上手に描けるのかと尋ねた。 すると先生は言ったのだ。上手に描こうと思ってはダメだ。魂を込めなくてはと。 「山はポーズを取ってはくれない。川は絶えず流れていくし、日の光も変化していく。上っ面だけを写し取るのではなく、魂を掴むんだよ、美桜。それは風景画だけじゃなく静物でも人物でも同じだ。掴み取った魂を絵に吹き込むんだ」 せっかく先生から極意を教わったのに、私はあの事故の後、絵から遠ざかってしまって、そんな会話を交わしたことすら忘れていた。 食事の時以外はアトリエに籠っていた先生が、四六時中私の視界の中にいるというのは何とも奇妙な感覚だ。 調理していても、洗濯物を干していても、常に先生の視線を感じる。 もちろん着替え中とトイレとバスルームからは先生を閉め出したが、寝顔はどうしても必要だと懇願されて渋々承諾した。 だから、朝目覚めると、先生がベッドの脇に座ってデッサンをしているなんてこともあった。 ドキッとしたのは私だけで、先生は難しい顔で鉛筆を走らせている。 その真剣な眼差しを見ると、自分が酷くはしたなく思えた。 私はずっと先生に女として見て欲しいと思っていたのに、先生は私が女に見えてしまったことでずっと苦しんでいた。 ”妄執”と形容したその気持ちを、先生はどうやって終わらせようとしているのだろう?
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