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夫の事件の後、ずっと家に閉じ籠って世間から逃げていた私に、ペンとノートをくれて学生時代からの夢を追ってもう一度小説を書けと言って叱ってくれた麻紀。趣味でしか無かった事が、追い詰められると本物になる事も有るものだとあの時思った。
たくさん書いた。麻紀が読んで、この話が一番良く書けていると言ってくれるまでに、二年掛かった。それから彼女が勤める出版社に売り込んでくれたけど、世の中そんなに甘い物じゃない。
当時はまだ麻紀だって駆け出しの編集者。現代ものから時代小説まで何でも熟せる超売れっ子人気作家の“朱雀夏彦”大先生のサブ担当者に過ぎず、軽輩だった。
それでも彼女は諦めずに後押ししてくれて雑誌の連載を取って来てくれた。
主人公の娘が現代に合っていたのだろう。
私の小説が話題になった。
同心の娘で、今で云う処の女探偵物。恋人の旗本の若君やら、江戸の鯔背な町火消やらと一緒に活躍する荒唐無稽な話が受けて注目を集め、書いた私が驚いたものだ。
その頃テレビ局のプロデューサーの愛人だった麻紀がここぞと売り込んでくれて、私の小説はやっと世に出る運びとなった。
放映されたのだ。
あの時の事は忘れない。
二人で祝杯を上げ一晩中飲み明かした。
それからの私達はひたすら戦い抜いた。
麻紀は夏彦大先生の担当編集者になり、私がやっと娯楽時代劇作家の肩書を手に入れた頃には、私達は既に四十代。
完璧に大人の女になっていた。
だから三年前に麻紀の勤める出版社が、鷲津グループに買収されその傘下に下った時、それを受けて麻紀が担当編集者の地位を追われそうになった。 あの頃は、これは何とかしなくてはと必死だった。
タイミング良く、他の雑誌社から対談コーナーの仕事を受けて書いていた頃だったから。鷲津グループの統括、鷲津晴臣と対談してみたいと申し入れてみた。
特に、何か出来るとは思ってもみなかったが彼の顔くらいは知って置きたかったのだ。
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