クラリネット五重奏曲

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クラリネット五重奏曲

親友と二人で、会うたびに聴いていた、思い出の曲がある。 モーツァルトの『クラリネット五重奏曲』という曲だ。 わたしは、その親友と二人の時でしか、この曲を聴かなかった。 その親友は、五年前、お産で亡くなってしまった。 今では、もう、この曲を聴くこともない。 大学の入学式で、隣り合わせになった。そんな些細な縁だった。 わたしが大して世間話もせず、いきなり、自分の趣味でしかないモーツァルトのことを話し出しても、彼女は驚かなかった。 彼女は実に上手く話を聞いた。しかし、それは上辺だけの相槌だと、わたしははじめから気付いていた。それでも、わたしは彼女に対してモーツァルトについて喋り続けた。手応えはないにしろ、こんなに人に話を聞いてもらえたのは、初めてだったからだ。 かつて、モーツァルト・イヤーといわれた年があった。 一九九一年。それはモーツァルトの没後二百周年の記念すべき年だった。 その年、高校一年生だったわたしは、テレビがどこのチャンネルもモーツァルトのことをやっていて、不思議に思って見入っていた。著名人がたくさん出演して、モーツァルトの曲十選をやっていた。わたしはそれを観て唖然とした。わたしは一曲も知らなかったからだ。 わたしは慌ててCDショップに走り、明らかなる海賊版を買ってきた。ピアノ協奏曲第二十番と第二十一番。聴いてみても第二十番はひたすら暗くてもごもごしているし、第二十一番は甲高い音がチロチロ鳴っているだけだった。何回聴いても何のことやらまるで分からなかったが、これが分からなかったら、わたしの耳はダメなんだ、と思い込み、一生懸命聴いた。他の海賊盤もいっぱい買って聴いた。それでも一向に分からないので、「モーツァルトの名曲名盤」という本を買ってきて、そこに紹介してあった「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のバウムガルトナー盤を買った。初めて買った正規のCDだった。 それは、どこかで耳にした音楽だった。わたしは気を良くし、名曲名盤と名のつく本を買い漁り、そこに紹介してあるCDを片っ端から買い集めるようになった。そのうち、わたしの耳に合う盤が発見できるようになり、その盤ばかりを紹介している音楽評論家を突き止めるに至り、その人の推薦しているCDばかりを買うようになった。彼の紹介するCDは間違いなかった。わたしは次第にモーツァルトの魅力に取り憑かれていった。
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