第5章 関東管領

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 永禄3年5月、駿河の今川義元は上杉景虎の上洛に刺激されてか、2万5千余の大軍を率いて西上し、三河から尾張に攻め入っていた。織田軍は劣勢ながらも善戦していたが、多勢に無勢追いやられていた。そんななか信長は突如として2千余を率いて清州城を飛び出し、桶狭間において義元の本陣に奇襲攻撃をかけ義元の首を落とした。義元の死により武田、北条、今川の三国同盟は消滅するにいたった。里見氏は北条軍に攻撃され、頼れる武将はもはや遠国越後の景虎だけだった。他の関東の諸豪族はもはや北条に敵対する力はなく、やはり景虎の力を借りるしかなかった。  出陣要請の急使が三国峠を越え、春日山城へと走った。 「なにとぞこの窮状をお察しくだされご出陣たまわりたい!このまま捨て置けば、北条の膝元となるのは必定でござる。これはまったく耐えがたきこと」  この非常事態を聞いてはじっとしていられる景虎ではない。 (やはり余が行かねばならぬ)  と、関東出陣の決意をする。
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