冒頭サンプル

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冒頭サンプル

 クローゼット型と引き出し型、ふたつの錆びたロッカーに入るだけの少ない荷物をワゴンで転がす。泉にとってはじめての引越だ。退院が出たら合わせて引越しするシステムは、お互いを知り過ぎないためでもあった。  看護師さんに案内された部屋の名札には伊東さんの名前がある。引かれたカーテンの向こうはとても静かで、寝ているのか不在なのかわからない。プライバシーもへったくれもない場所だと思っていたが、場合によるのかも。などと思いながら黙々と片付けをしていたら入口のカーテンが開いた。小柄な女性がぺたぺたと入ってきて、伊東さんの顔と名前が一致した。小粒でかわいらしい。 「午後から相部屋になりました。よろしくおねがいします」 「泉さんなのね、よかった。十代の子なんかだと疲れるの」  年齢を推し量るのが難しい院内で明らかに年上の伊東さんは、カーテンを開けて固いベッドに腰掛け、安堵の表情を浮かべた。 「料理王国かなんか、読んでなかった? あれ、泉さんの?」 「はい。出しましょうか?」 「ありがと。後で見せて、私も好きなの。後でその話しよっか」  面会で疲れたと伊東さんは言って、カーテンを引いた。物音ひとつしなくなった。寝息も聞こえない。
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