チョコレートケーキ

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待合室は、驚くほど賑やかだった。 くすんだグレーの、理に適っていないほど直角な背凭れが、座り心地の悪いソファーに座り、小さくなっていた。 客観的に見れば、あたしが一番の重症患者だった。 周りにいる人をみるのが嫌で、テレビの方をみた。 海の向こうの、名前を聞いてもぴんとこない、遠い国が映っていた。 溺れかけた象を、何十人もの人で助けた、というニュースだった。 作り話にしてはあまりにできすぎた、真実にしてはほとんど嘘のような、すんなり納得のいく話だった。 溺れかけた象を、人間が――何十人もの――助ける。 しかも必死になって。 滑稽だった。 噴出しそうだった。   あたしは診察も受けずに病院をでた。 そのままの気持ちでケーキを買いに行った。 特別な日、を作る天才だった彼が、その日ごとに買ってきてくれたチョコレートケーキ。 特別な日、とは、何も誕生日や、クリスマスだけにとどまらなかった。 むしろそんな放っておいても誰にでも訪れるそれには興味はなく、日々の生活のほんの些細なことを、彼は、特別な日、に昇華させてしまう。 適当に入ったバーで、目を瞑ったまま指を差して注文したカクテルが、びっくりするくらいおいしかった日、まだ目が覚めきらないまま、フライパンに割り落とした卵の黄身が双子だった日、拍子抜けするくらいに早く仕事が終わり、思わず二人で食事ができることになった日・・・。 過ぎ去った日々の質量と温度。 家に着き、テーブルに一直線に向かい、すぐにひと口食べた。 感にこたえたため息がでた。 甘すぎないチョコレートケーキが、すっと身体に溶けていく。 そのひかえめな甘さが、一口一口、あたしを温めていく。 久しぶりに味わう――忘れかけていた――幸せだった。 いつも隣にいて、一緒に過ごし、同じリズムで暮らしていた。 同じものを食べ、お酒を飲み、一緒に眠る。 あたしは、あっというまにひとつを食べ終え、もうひとつを丁寧に冷蔵庫にしまった。
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