その一

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ある日のことだった。 いつものようにせっせと船で人を運んでいるうちに、宗助は妙なことに気づく。 (今日は帝釈天で祭りでもあるのか? やたら客が多いじゃねえか) 宗助が船頭をしているのは柴又と矢切を結ぶ渡し船で、俗に”矢切の渡し”といわれている。矢切側から乗るのは柴又にある帝釈天にお参りをしに来る連中、柴又側から乗るのは向こうに所用がある連中と相場が決まっている。 普段からそこそこに乗客はいるのだが、それにしても今日はやたらと人が絶えないのだ。昼飯用にこしらえた、握り飯を食う暇すらないほどに。 それでも口下手な宗助は誰かに問うということもなく、初夏のぎらぎらとした日差しの中、汗水たらしながら船を漕ぎ続けた。 だが、客の列は終わる様子を見せない。どちらの船着き場にも、絶えず長蛇の人が出来ている有様だ。 (よく見たら、同じやつばかり乗ってるじゃねえか) さすがの宗助も、これには参った。柴又側から乗った客が矢切側で降り、どこかに行くということもなくもう一度船に乗り柴又に戻る。それを、延々と繰り返しているのだ。それも、一様に男ばかり。 (なんだ、一体どうなってるんだ……) 結局その日は昼飯を摂る間もないままに、宗助はへとへとになって長屋に戻ることになる。 まあ、こんな日があってもいいか。 そんな風に自分自身を無理やりに納得させその日は床に就いたものの、あろうことか翌日もその翌日も、渡し船に客足の絶えない日々が続いた。
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