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「いえ、それは遺産には含まれておりません。生前、買うたびにあの人はそれを私に預けておりましたので、遺産ではなく私のものだということになっております。けれど、あの人にとって家族はあなたたちお二人ですから、あの人の気持ちはあなた達お二人で半分ずつです。私にはこの屋敷が残っていますから、それで充分。残務処理が私の役目です。いつかきっと奥様がこちらに来られるだろう、とあの人は言っておりました。なので、すべて手付かずのまま保管しております。私は見ての通り老い先短い身です。身寄りもないですし、私には使い切れません。本当は、半分ですら過分なんです」 彼女が母のことを“奥様”と言ったことに驚く。楓さんもまた、母を父の相手として受け入れているようで、それがなんとも痛ましく映った。 「どうしてあの人は…莫大な遺産だけ残しても、意味なんかないのに」 母は唐突に声を上げた。 お金よりも大切なものを、母も楓さんも知っているようだった。私が嫌悪していたそれとは、次元のちがうもの。 「こんなことしかできない、遺してやれない、と病室のベッドの中でずっと悔やんでおりました。私が此処に住まわせていただいているのは、彼の心をすべて知ったうえでお世話だけでもさせて下さいと頼み込んだからでした」 静かにそう続ける楓さんが、一つ、息を吐く。 生来、ひどく気を遣う人だったのだという。楓さんは、母が父を知る以前からの知り合いのようだった。ずっと想いを寄せていたのは楓さんで、父が優し過ぎて楓さんを突き放すこともできないことに甘えていたのだと彼女は言った。一度、ひどく心を病んで体調を崩したことがあり、その頃に父とよく会っていたのが父と母が離婚した原因になってしまったのだと痛切な表情で続けた。 「たぶん、自分に片想いをしているだけの人間だなんてことを奥様に伝えることは憚られたのでしょう。本当に大切にすべきは奥様でしたのに、私にまで気を回して。今更なにを話したところで信じていただけるとも思いません。意味もないのかもしれませんが、彼…広政さんと私のあいだには、何もありませんでした。彼から一番大切なものを奪ってしまった償いとして、ただ使用人のように過ごさせていただきました」
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