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こいつは何でも知ってるんだ。僕はフィギュアを握る手に汗をかいていた。
けれどタカヒロは、真面目な顔をしていた。そしていつものように、まるで「カラオケに行こうぜ」と言うときのように、さらりと言った。
「俺さ、転校するんだ」
「は?」僕はもう一度、今度は腹から声を出した。「いきなりなんだよ、冗談やめろよ」
「俺がいなくなったらさ、お前クラスの雰囲気に流されて、何でもなーなーに過ごすだろ。みんなと同じことするだろ。けど、自分の好きなものはさ、好きって言った方がいいぞ。これは餞別」
せんべつって、送り出す側が出ていくやつに渡すものじゃなかったっけ。
そう思ったけど、突っ込まなかった。こういう茶々は今入れるべきじゃないと、最近わかるようになってきた。
分かれ道までは、今まで交わしたどの会話よりも静かに、ぽつぽつと会話した。まだ状況が受け入れられていなかった。
「今月いっぱいまではいるから」と、タカヒロが言った。
夏の夕方はまだ日差しが明るく、僕らの影は長かった。
***
生ぬるい夜風がカーテンを揺らし、窓際にはあいつからもらったフィギュアが仁王立ちしている。月明りを浴びて、顔は見えない。
タカヒロは、ベテルギウスみたいだ。
いなくなったとしても、放たれた光を、僕はずっと受け取っているのだろう。まぶしい。
何年もして、いつかはその光が途切れるのかもしれない。だけどそのときは、僕はあいつに会っても恥ずかしくない人間になっているということだ。
けれど、叶うならば。
「まだ、いなくならないでくれよ」
ぽつりとこぼれた気持ちに、僕は驚いた。恥ずかしさを感じたが、その声は高い夜空の、オリオン座だけが聞いていた。
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