第01章 縄張り

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第01章 縄張り

「妻から見限られる夫って、どんなやつか知っているか?」 「え?」  金曜日の仕事帰り。  繁華街にある飲み屋で、丸重(まるしげ)さんに、営業のコツを訊いたときだった。  脈絡のない質問が、相手の口から飛びでてきた。  その真意が読めず、葛西啓吾(かさいけいご)は混乱する。 「家事を手伝わないとか、優しくない人ですか?」  妻の花穂(かほ)を思い浮かべつつ答えた。共働きなので家事は分担制である。  丸重さんが二重顎に手を当てた。 「それもある。でも本質は違うな。妻から見限られるのは、縄張りを持たない夫だ」 「縄張り?」  啓吾は首をひねった。意味がよくわからない。  丸重さんが、太い指で皿を示した。塩焼きになったアユが半分骨になっている。 「葛西は、アユの友釣りって聞いたことがあるか?」  釣りはたしなまないが、その言葉は聞いたことがある。  アユの縄張り本能を利用した釣法だ。釣り上げたアユ、あるいはそれを模したルアーを囮に使う。縄張りから追い払おうと体当たりしてくる野アユを引っ掛けるのだ。  丸重さんがうなずく。それに応じて彼の頬の肉が揺れた。 「そうだ。だが最近のアユはケンカしないので、友釣りをするのが困難だそうだ。草食系男子って言葉が昔あったけど、アユも同じだな」  へえ、と相づちを打つ。 「だがな」  丸重さんが、空になったジョッキの底をテーブルにぶつけた。 「アユはよくても、俺らみたいな代理店はそうはいかない。取り合う獲物は減ってきているというのに、競争相手は増える一方だ」  脂肪をたくわえた身体を震わせて、丸重さんが吼えた。
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