01 振れる秒針

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 その人のイメージは、今でも「暖かい窓辺の風」だ。  良く晴れたある日、その施設に一人の訪問者がやって来た。その人は、ぼくに会うために来たのだと言う。  日差しはカーテンを薄橙に透かせ、風がそれをふんわりと膨らませていた。  夢のような午後。  「こんにちは、れなちゃん」  その人はそう言うと、少しも気負いの感じられない、とても自然な笑みを浮かべた。    笑う事が多いのだろう、口元や目尻の皺。  ぼくはその、飾り気の無い表情に目を引かれた。  「たかはし、とうこです」  彼女の声はとても穏やか。  そして、ゆっくりと、その一言ひとことは空気に漂う。  目まぐるしく流れる世界で、いつも溺れそうになっていたぼくは、あぶくみたいなその声に、おや、と思った。  「れなちゃん、よろしくね」  「・・・」    何と言って良いのか分からない。  いつも周囲の声は、ぼくの耳にはぼんやりとしか届いておらず、彼らもぼくに明確な返答を求めてはこなかった。  ぼくは押し黙ったまま、その場に立ち尽くしている。  それでもこの人は、ぼくににっこりと微笑みかけた。  これが、彼女から最初に学んだこと。  人は誰かと仲良くしたいとき、笑うんです。
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