第1話-1

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 蒼衣のスタイルは素潜り。タンクを使わず、自らの力だけで息の続く限り潜水する。非常に危険な行為である。フィンという足ビレを装着して泳ぐダイバーも多いが、蒼衣の場合はそれさえ煩わしい。  一応、すぐ側を、こちらはフィンをつけてタンクも抱えた信頼の足る友人が並走してくれているので、蒼衣は安心して己の限界に挑むことができる。  水深計搭載の腕時計が示す数値は-31.1m。まだいける。高い水圧に肺が収縮していき、浮力が体感的にも落ちていくのが分かる。力を入れて水をかかなくとも、深い海底に吸い込まれるように、沈んでいける。  美しい青だ。もっともっと深く潜り続ければ、やがて青さえ通さない、真っ黒な世界を見ることができるのだろうか。  不意に全身の細胞が警笛を鳴らした。蒼衣は迅速に体を旋回させ、海底に向いていた頭を煌めく海面へ向ける。  煌々と輝く白い光の球が、まだら模様に水面を白と淡い蒼に彩る。たった数十メートル潜っただけなのに、空が、陸がこんなに遠く離れて見える。海の底から見上げるこの景色がたまらなく好きだった。海底が死なら、あの煌めく海面こそが生の極点だ。  浮力に変わって蒼衣を襲う海底の引力は、気を抜けば刻一刻と白濁していく意識をやすやすとパニックに陥らせる。慌てず、冷静に、力を抜いて一定のペースで、無駄のないフォームで、少しずつ浮上していかなければならない。     
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