供花の向日葵

1/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ

供花の向日葵

 改札から一歩踏み出すと潮の匂いが鼻をついた。  生ぬるい風が吹く。かもめだかとんびだかが遠く空を切り裂くように鳴く。  休日の海岸はカップルや親子連れ、大勢でおしゃべりする学生なんかが溢れている。わたしはその中を一人で歩いた。お気に入りの黒いワンピースが太陽光を吸収してとても暑い。家を出る前に妹が喪服みたいだよねその服と言ったけど、実際これは喪服の代わり。  また、ごうと吹いた熱風がわたしの髪をくしゃくしゃにする。高校一年生の夏、恋人が海で死んだ。彼は名前を太郎といった。なんだか適当な名前だなと思いつつ、でもそれが少しかわいいと思っていた。太郎ちゃん(当時わたしは彼のことをそう呼んだ)はあの日、わたしじゃなくて何人かの友達と海に来ていた。付き合ってたった三ヶ月のときの出来事。暑い夏の出来事。彼は遠泳をしていて沖に出すぎて戻ってこられなくなったということだった。ビーチボールに興じていた友人たちが気づいて助けを呼んだけど、間に合わなかった。  制服で行った葬式で、わたしはどんな顔をしたらいいのか分からなかった。結局涙は出なかった。多分、あまりに実感が薄かったのだと思う。そのときのわたしには、人懐こい笑顔の彼がわたしに好意を持っていたということさえもまだあまり現実感がなかったのだから。  わたしは駅前の花屋で買った向日葵の花束を持って、きらきらする海を眺めながら歩いた。彼の笑った目元もわたしを呼ぶ声も思い出せるのに、顔全体のイメージがなぜか思い出せなかった。波の音と喧騒、観光客の手に持つ食べ物やお酒の匂いがわたしをつつむ。  しばらくそうしていると軽い疲労感と空腹を覚えたので、こういう海沿いにありがちな夫婦で営業しているような小さい食堂へ入ることにした。昼のピークは過ぎていたので店の中はわりあい空いている。風鈴と竹の簾の向こうで扇風機が回っている。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!