29(承前)

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 そのとき、シューシューというなにかが泡立つ音がきこえてきた。これはいったいなんだろう。武夫のなかでは恐怖の前に疑問がわいた。シューシューとお湯でも沸いているような音。  きこえてくるのはあの焼夷弾からだ。気づいたときには情けないことに足が止まり、離れて立つ姉に目をやることしかできなかった。 「静子姉ちゃん!」  その瞬間、男の子の横で熱と炎がふくれあがった。粘りつくゼリーのような火の塊が全身に降りかかった。吸いこんだ息がそのまま炎になり、武夫の口のなかと喉を焼いていった。姉ちゃんだけでも助かってよかった。いいたいことはあったけれど、もうなにも口にすることはできなかった。  タツオは猛烈な炎と苦痛に包まれながら考えていた。これが一般市民に加えられた世界の歴史上もっとも大規模な空襲か。この男の子の死もこの夜に失われた10万人のうちのひとつに過ぎないのだ。  タツオの意識は路上に倒れ伏し、たいまつのように燃えている男の子から離れていった。
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