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月の光が水面に映ってユラユラと頼りなく、長く長く伸びる。百合子はその光景を見ながら「この光はこちらに近付いている道か、それともー」と考えた。秋の風が瞼を撫でる。思わず目を瞑ると父の顔がよぎった。
父は厳しく神経質で、例えば子どもの百合子が車に乗っている時、窓に映り込む満月に思わず手を伸ばして触ろうとすれば「汚れるから触るな」だとか、そういう事を一つ一つ言う人だった。百合子は父といる時はいつも緊張した。父が自分を隙なく見ている気がしていたのだ。
良いところといえば話す時は目線を合わせる所くらいだったが、母はそこに惚れたらしい。子どもの頃はそれを何とも思わなかったけれど、隣で海を見ている男が「寒くない?」と同じように百合子の顔を覗き込むように語りかけた時、血管が沸騰して血液が駆け回るような、いてもたってもいられない甘い痺れを感じて自分は母と血が繋がっているんだと思った。
砂浜に迷う事なく腰を下ろすと、彼は「海は10年振りだ」と言う。彼の煤竹色の髪が月に照ってキラキラ光る。染めているのだろう、キラキラ光るその根元には元の墨色がじっとりと、その光りを飲み込むように顔を出している。
「10年?」
「うん。10年前…俺が大学生の頃留学生を受け入れてたんだけど、その子はチリのカラマって場所から来てて雨も海も見たことが無かったんだ」
「そうなの?」
「聞いたらカラマは砂漠にある街で、今まで雨は一滴も観測されたことがないんだって。雨なら梅雨に嫌ってほど見るけど海はそうはいかないからさ、じゃあ海に行くかって家族で海に行ったんだよ」
「それ以来だ」と言いながら縦長い楕円を砂浜に描く彼の指は楕円の中心より上に丸を書いてcalamaと綴る。その楕円はチリだったのか。百合子は彼のそばに腰を屈めた。この日のために買ったフレアスカートで砂浜に直接腰を下ろすことは躊躇われた。
「チリって何語?」
「スペイン語」
「スペイン語わかるの?」
「全然」と彼は笑うと「でも同じ人間だからどうにでもなるよ」と続けた。百合子は「そっか」と一言だけ零すと、ただその楕円を見つめる。会話が千切れた。それは百合子にとって絶えなく聞こえる波の音すらかき消すような居心地の良さだった。
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