章 十

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「東方の山岳民族の出身だと言っていたよ。彼の族は、辛乙の奴隷狩りで滅ぼされた。彼はその後四国をさ迷ったらしいから、そこでいくつもの死地を生き延びる度に、その分だけ智慧を身につけてきたんだろう。そして常に、その智慧をいかにすれば辛を倒すために使えるだろうかと考え続けてきた人だ。聡いのに素質があるのは間違いないが、恐ろしく強固な意志が彼を生かし、知恵者たらしめたんだろう」  杯の上で揺らめく月光に目を細めていた白華が、酒気を器に還すように呟いた。 「今もまだ父上は、部屋に残ってあの男と討議を続けていらっしゃる。…兄上達は、あの男を信頼に足ると…あの男に寉の命運を全て委ねてしまっていいと思っておられるんですか」  柔らかな月明かりの下、沈黙が霧のように漂った。白華の問いは、一部の、いや、半分近くの寉の重臣達が密かに胸の内に収めている不安を代弁したものだった。確かに寉人は、他国を侵略するための辛の戦費を負担させられ、主を不当に幽閉されたことに対して憤りを感じており、昔から辛の属領になることを拒んでいた抗戦派などは今や意気軒昂に戦の準備に奔走しているが、一方で現在辛と寉とは、これまでになかったほど良好な関係を築いているのである。それをむざむざ破壊してまで、危険な大戦に乗り出す必要はあるのだろうか、それもどこの馬の骨とも知れない異邦人の司令官の下で――そういった賭けに不安を感じている臣下は、いないわけではないだろう。戦争になれば勝っても負けても、間違いなく辛の兵と共に寉の民の命も少なからず失われるのである。 「我々――寉が雲どのの復讐の道具にされているとでも?」     
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