見上げた先には恋がある

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 ぷかぁ、と口から煙を漂わせる。ふらふらとたなびいた煙はすぐに高性能の空気清浄機に吸い込まれた。福利厚生だとか言って、こんなところに金をかけるくらいなら、もっと残業代を上げてくれればいいのにと、廊下の隅の喫煙室で一人ぼやいてみた。  腕時計で時間を確認するとすでに午後九時になろうとしている。今夜は絶対に日付を越える前には帰りたい。短くなった煙草の残りをひと吸いしてスタンド灰皿に放り投げると、新しい煙草を指先でつまみだした。  唇で軽く咥えて火を点けようとした時、節電対策のために照明の落とされた暗い廊下の向こうから誰かが近づいてくる足音が聞こえて、ガチャリとドアが開けられると一人の男が入ってきた。  男は先に部屋に居た俺の姿を認めると軽く会釈をして、俺も何となく顎を引いてそれに応えた。彼はドアの近くの壁に寄りかかると、手にしていた缶コーヒーのプルタブを開けた。  俺も飲み物を持ってくればよかったと思いながら、狭い喫煙室で相席になった男の姿を紫煙越しに眺めた。この一週間でたまにここで見かけるようになった男が首から下げている入館証にはゲストと書いてあり、うちの社員では無い事が分かる。  ふぃー、と細く煙を吹くと、ふと煙草に火を点けた彼の視線がこちらを向いているのが感じられた。何となく居心地が悪くなって男から意識を遠ざけようとしたとき、彼が俺に声をかけてきた。
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