第1章

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「当店では『夢枕(ゆめまくら)』を販売しております」 「はあ」 店員の20歳前半らしき女が掌で店内をぐるりと指し示しながら言うが、こちらとしては気の抜けた返事しかしようがなかった。  なぜなら、俺の一人暮らしの居城である1Kの部屋より少し広い程度の店内は、隅から隅までを俺の身長の倍はありそうな書棚が埋め尽くし、その書棚もまた本来の用途を違えることなく沢山の書籍で溺れていたからだ。  枕の「ま」の字もないのに『枕を売っている』とはこれいかに。 そもそも『夢枕』ってなんなんだ。  大学サークルの徹夜の飲み会明け。 酔い醒ましをかねて早朝の爽やかな香りに満ちた街を一人ぶらぶら散歩していたら、驚くことにすでに営業を開始している店を見つけた。 コンクリートのビルばかりが立ち並ぶ大通りから一本だけ入った路地に隠されていたその店は、朝靄の中でこそ際立つ真っ白な外壁の平屋だった。  その平屋が何かしらの店舗だと分かったのは、扉の横、俺の顔と同じ位置に小さな銅板が打ち付けられていたからだ。 年季が入っていそうなのに錆の一切見当たらないそれには、こんな文字が平凡なフォントで刻まれていた。  【夢枕屋 am4:00 ~ am 6:00】 店名からはじまり、とてつもなくイレギュラーな営業時間まで、突っ込みどころが山ほどあった。 何の店か皆目見当がつかず、もはや怪しげな気配すら感じられたが、俺は好奇心に押し負け、残り滓のような酔いに任せてその扉をくぐった。 すると、入った先には待ち構えていたかのようにこの女が立っており、「いらっしゃいませ」と、俺に向かっていきなり声をかけてきたというわけだ。  「お客様、『夢枕』をご存じでない?」 「はあ」 彼女がつやつやとした黒いショートカットを揺らして首を傾げるが、俺も同じように首を傾げるしかない。  『夢枕』なんて存じ上げない。 「故人が夢に現れてお告げをする」という意味の「夢枕に立つ」という表現は聞いたことがあるが。 それに、そもそも。  「ここにあるの『本』だけじゃないですか」 「ははぁ」 俺が反論を試みると、女は俺の無知ぶりに落胆するように、あるいはこれから教鞭を執ることができることを喜ぶように、大きなため息を吐いた。 そうして、 「お客様、『本』とはなんだと思いますか?」 と、突拍子もない問いを投げかけてきた。  「はあ?」 本日3度目の、情けない返事。 
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