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あの日僕は、人魚に出会った。
太陽はあんなに遠くにあるのに、強い陽射しは一直線に僕の街へと降り注いでいた。海が全ての光線を反射して、目が痛いほどに白く輝く____あれは、そんな季節のことだったと思う。
僕は体を流れ落ちる汗にうんざりしながら、学校からの帰り道を無心で歩いていた。早く家に帰りたい、そう思っていたけれど、背中にランドセルがぴったりと張り付いているのが嫌で、僕は一度それを下ろした。
水気を含んだティーシャツを風が撫でて、体感温度がぐっと下がる。それがとても気持ちが良かった。僕はもっと風を受けたくて、先ほど放ったランドセルを乱暴に掴むと、防波堤の先端に向かって走った。
____この手を離してそのまま飛び込もうか。
けれどそんな計画性の無い衝動は、小さな水音とともにあっさりと消えた。
僕は足を止める。
「…誰かいるの?」
僕の故郷は本当に小さな港町だった。だからほとんどみんな顔見知りだったし、しかもこの海で遊んでいる子供なら尚更僕の知らない人なはずはなかった。
だから。
「え…?」
僕の知らない真っ黒な髪の少女が海から顔を出しているのを見た時は、本当に驚いたんだ。
「キミは誰?」
でもその子も僕と同じくらい驚いた顔をしていた。綺麗な黒い瞳が零れ落ちそうなくらい大きく目を開いて、僕のことを見つめていた。
その容姿を見て、僕ははっとする。
「もしかして…人魚?」
それはこの町に伝わる伝説だった。海には長い黒髪の人魚が住んでいて、自分を愛してくれる人間が現れるのをずっと待っている____そんな話だったと思う。
「うん、そう」
少女は高く透き通った声で言った。
「すごいや」
僕は興奮していた。新しいことなんて何一つない平凡な日常が、一瞬にして未知の世界へと変わった気がした。
____僕はきっと特別な人間なんだ。
「ねえ、名前はなんて言うんだい?」
こうして僕らは出会った。
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