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ビカム・スイマー
屋上から見上げる空には、鰯雲が元気よく泳いでいた。汗を浚うように吹き抜ける風は少し冷たく、涼しい。
ふと部活をしている生徒の生き生きとした声が聞こえて、羨ましく思った。
ーー楽しくないことが上手くて。
ーー楽しいことが下手で。
そんな自分が、どうにも嫌でイラついていて。だから、気分転換にこうして空を見上げている。
「……で、なんで先生も寝そべっているんですか」
そう言うと、先生は子供みたいな無邪気な笑みを浮かべた。
「さぁね。蝉の声が、誰かの泣き声に掻き消しされたから……かな」
「…………」
「そんな眼で見んなよ! すまん、悪かったって!」
僕は溜め息をつき、ゆっくりと瞼を閉じる。色んな音が聞こえて、でもそれは海の唄よりも小さく幼いものだった。
全部そうだ。あの日海を見てからーー全てが、なんでもないようなものだと思えてくるのだ。そう自分も、自分の今している努力も含めて。
「……別に、なんでもない訳じゃないと思うぞ」
「ーーえ?」
驚いて、咄嗟に先生の方を向いた。先生はずっと空を見つめていて、その眼は何だかずっと遠くを、それこそ宇宙までを眺めているようだった。
「俺は、宇宙飛行士になりたかったんだ。」
若々しい、木の葉が揺れた。
「俺はさ、高校二年までサッカーを一筋でやってきたんだよ。……でも、俺は一度も楽しいと思ったことなんてなかった」
風が走り、髪が微かに揺れた。
「そんなとき、テレビで日本人初の宇宙飛行士を見たんだよ。スゲーなって思って、俺も、あんなでかい黒色の世界に行ってみたいなーって。」
先生はこっちを見て、本当に、本当に子供みたいに笑った。
「くだらねぇと今なら思うけど、高校生活を"それ"に全部費やしたこと、俺は後悔してない。楽しいと思うことを、凄いと思えることを精一杯やれたんだ。」
今、やっと分かった。先生はーー
「俺は無理だった。だから、お前は叶えろ。今は下手でも我慢しろ。堪えて、続けて、頑張ればーー絶対、叶うから」
ーー先生は、遠い昔の自分を見ていたんだ。
僕がそう気づいた時には、先生はもう立ち上がっていて。青空の前に立つ先生は、海と同じぐらい大きく見えた。
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