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人里離れた鬱蒼とした森の中に、その屋敷はあった。
「屋敷」といっても庭が広いだけで、母屋そのものは普通の民家よりやや大きいくらいの古びた木造家屋であったが。
(どんな豪邸に住んでるかと思ったけど……案外つつましく暮らしているんだな)
門の前に車を停め、ドアを開けて降りるとムッと暑気が押し寄せ、普段着慣れないスーツの下から汗が吹き出る。
関東地方の梅雨明けが宣言されたのは、つい先週のことだ。
「溝口様でございますね?」
ふいにかけられた声に振り向くと、いつからそこにいたのか、初老の紳士がぴんと背筋を伸ばして立っていた。
僕と同じくスーツにネクタイ姿だが、その額には汗ひとつかいてない。
暑くないんだろうか?
「あ、はい。溝口裕也(みぞぐちゆうや)です」
「お電話を差し上げた弁護士の井上です。さあどうぞ……中で奥様がお待ちです」
「お忙しいところをわざわざお越し頂いて恐縮ですわ。本来ならこちらから出向くのが礼儀なのでしょうが、何しろこの歳ですし、最近はすっかり足腰が弱って……」
居間で向かいのソファーに座った和服姿の老婦人が、上品な物腰で初対面の挨拶の後、詫びの言葉を口にした。
「いえとんでもない! 僕の方こそ光栄ですよ。まさか往年の大女優、原田幸子(はらださちこ)さんご本人にこうしてお目にかかれるなんて」
決してお世辞ではない。
原田幸子といえば、邦画黄金時代といわれた1950年代に若干17歳で銀幕デビューを飾り、以来主演映画はことごとく大ヒットを飛ばし名声をほしいままにした、まさに日本を代表する映画女優の1人である。
だが60年代以降、TVの普及に伴い邦画は斜陽の時代を迎え、多くの俳優がTVドラマへと転向する中、彼女はデビューからちょうど10年目にあたる27歳の年に突然の引退を発表。以後は片田舎の自宅に引きこもり、マスコミの前に一切姿を現すことはなかった。
逆にいえば、この「早すぎた引退」が原田幸子の存在を伝説の女優へと神格化させ、現在に至るも根強いファンに支持されている一因かもしれない。
もっとも僕自身は、初め「原田幸子の代理人」と名乗る井上さんから電話を受けたときに今ひとつピンと来なかった。
念のため映画マニアの友人に相談してみたところ、
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