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闇が重い。
まとわりつくように濃密な夜の気配――虫の声も途絶えて、静まりかえった真っ暗な部屋で、桐原尚(なお)は眉を寄せて寝返りをうった。ひんやりした空気が肌を撫で、思わずタオルケットを引き上げる。
「う……ん」
疲れきって、心身ともに休養を欲しているはずだった。寝たのが遅かったから全然眠り足りなくて、まだ目をさましたくない。それなのになぜか神経が鋭敏になっていて、意識は徐々にクリアになっていく。
『お……』
少し離れたところから低い声が聞こえてきた。男女の別もわからず、不明瞭で、聞き取れないほどかすかな音だ。だが、その声にはふしぎな切迫感があった。
『な……お……な、お……なお!』
なお――ひょっとして自分の名前だろうか?
眠い、それもものすごく。しかし誰かに呼ばれているのに、スルーというのも失礼な話だ。もしかして叔父の声だろうか。いや、叔母かもしれない。とにかくひどく懸命な気配が伝わってくる。やっぱり返事をしなければ。
『なお!』
尚は必死にまぶたを持ち上げようとした。
「は、は……い」
なんとか開いたのは右目だけだった。
「ど、ちら……さま?」
真っ先に視界に入ってきたのは、うっとうしいくらいの暗闇だ。電気を消しているから、当然何も見えるはずがない。ところが、
『なお!』
うれしそうな声と共に、目の前で笑顔が揺れたのだ。
『なお、だね!』
尚は反射的に左目も開く。相手はそれほど美しかった。けれども、すぐに目を閉じてしまう。
「……何だよ」
モゴモゴと呟いて、寝返りを打った。
夢――そうとしか思えなかったのだ。
見えたのは、ミルクのように白い肌と明るいオレンジ色の瞳。絹糸みたいに輝く長い髪はエメラルドグリーンで、頬に影が落ちそうな長いまつ毛も同じ色だった。女か男か区別できないが……とにかく相手はとんでもない美形だ。
ありえない。アニメやフィギュアじゃないんだから、そんな色の目や髪をした人間はいないし、コスプレにしては妙になじんでいる。というか、それ以前にきれい過ぎて現実とは思えなかった。やっぱり夢だ。
『なお、なお!』
奇妙な声はなおも続いていたが、もう相手をするつもりはなかった。だって夢なのだから。
「あっち……行け」
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