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皆がベッドに潜り込み、夜の帳を下ろす中、トマリーだけはまだ起きていた。
居間に残り、今夜懐かしんだアルバムをしまいこみながら、ずっと気になっていた”当時の日記”を探り当てた。
「あっ……た」
そこには十代の苦悩が克明に綴られていた。
だが、その苦悩は十代の頃のトマリーのものであり、大人になってから知る”本格的な人生の苦悩”とは別種のものであった。
それは”人に見られても大丈夫なように”書かれてある文面からも窺い知ることが出来た。
日記の内容は、まるで人生の大半が過ぎ去ったあとに訪れた晩秋を語りかけていた。
どうしてぼくは”今”に至ったか、私小説でも書くように──。
そういえば十代の頃、一時期ではあったが小説家になりたいと”一瞬でも”考えていたことを思い出した。
歌が上手いと言われて”一瞬でも”歌手になれる可能性も”恥じ入りながら”気にしてしまったり、話が面白いからコメディアンになれそうな気に”一瞬でも”考えてしまうアレだ。
自意識が顔を覗かせる、あの十代特有の警戒心と見栄に彩られていた。
それは決してトマリーがもう味わうことの出来ない、青い苦悩だった。
ぱらぱらとページを開けていると、トマリーは不思議な感覚に捕らわれた。
当時の”ぼく”が「○○年後の”わたし”へ」とメッセージアプリの吹きだしのごとく、付箋が貼られているような気がした。
妙に説明くさい”未来の自分へ”の問いかけ。
”未来のぼくは幸せですか?”
”未来のわたしは、今日、素敵な一日の中でこれを読んでいますか?”
その言い訳じみた日記を、トマリーはぱらぱらと捲っていくうち、チョッキを着た兎を追いかけるように、難なく当時の迷宮に迷い込んでいた。
当時のぼくがわたしに語りかけているのか、今のわたしが振り返っているのか、それともその両方なのか。
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