1 お日さま燦燦

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「プール用はないのですが、クラブバッグがあるので今持ってきますね」  怖くないけれど、それでもどこか緊張してたんだな。受付の女性が席を立ち、このテーブルにいるのが俺と、伊都だけになった途端、少しだけ肩の力が抜けたのがわかる。 「……お父さん」 「んー?」  小学校にあがったら、俺の呼び方が「パパ」から「お父さん」に変わった。少し男の子らしくなった気がする伊都がちらりとプールへ視線を送った。 「平気?」  プール、怖くない? と、首を傾げて覗き込んでいる。 「大丈夫だよ」 「そっか。よかったね」  ホッとしてた。伊都も、俺も。 「俺、泳げるようになるかなぁ」  そういや、最近は完全に自分のこと「俺」って呼ぶようになったな。あの頃は……いや、あの当時はまだ俺とか僕とか以前、まだ片言だったっけ。  麻美が死んだ当時は――。  水難事故だった。海に三人で来ていて、足を通して座っている状態になれる浮き輪をした伊都と俺と、麻美で海で浮かんでた。本当に一瞬だった。突然、それこそ交通事故みたいに襲い掛かった大波。俺は伊都がひっくり返らないように手を伸ばすことに精一杯で、麻美の手を掴んでやれなかった。  波にさらわれた麻美が帰ってきたのはその日の夕方だった。  俺はその日から水が怖くなった。 「お待たせしました!」  受付の女性が手に持っていたビニール製の子ども用ボストンバック。伊都はそれを受け取るとパッと表情を輝かせた。 「これで、スイミング習える!」 「そうだね」 「今、レッスンとレッスンの合間で誰もいないんですけど、ここで練習するので、えっと、練習開始の十五分前ですね。こちらに来ていただいて館内の説明をその時します」  もう一度プールに視線をやってみる。  すごいな。時間って、本当に。何度見ても、水色のプールに、大量の水に、恐怖を感じることはなかった。
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