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「そんなに嬉しい?」
帰りの車の中でずっとバッグを膝の上に乗せて、チャックを開けたり閉めたり、中に入っているのは説明書と、契約の書類だけなのに、それでも嬉しそうに目を輝かせている。
「うんっ!」
「……ごめんな」
ちょうど信号が赤になったところで、頭を撫でてやると、少しくすぐったそうに肩を竦めてから、首を横に振った。
一度も俺はプールにも海にも連れていってあげられなかった。事故の直後は風呂の湯船ってわかっていてもギリギリだったんだ。「恐怖」がぴったりと肌にくっつきそうなほどの近さで隣に座っている感じ。ほんの少しでも身じろげば、触れて、叫んでしまいそうだった。だからギリギリのところでずっと「これはお風呂」って繰り返し自分に言い聞かせながら、二歳だった伊都を風呂に入れていた。
そして、段々となれて、湯船くらいなら大丈夫になっていった。
「楽しいといいね、プール」
「ちょっと恥ずかしいけどね。泳げないの」
「それはごめんってば」
「でもいいよ。夏にパパと山行って遊ぶの楽しいもん」
あ、今、本当に嬉しくて忘れてるみたいだ。呼び方が小さな頃と同じ「パパ」になってた。伊都はそんなの気にせずに笑顔で、もう一度、鞄の中を覗き込んでいる。
「頑張れ」
「うんっ!」
よっぽど嬉しいらしく、鞄から顔を上げた伊都の頬は紅潮していた。
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