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ぼくが見る人でないものは、時々言葉を持つ。ぼくのことを「眉間の目、触覚の耳を持つ者」という。人の中には稀に、そんな動物的感覚を持った者が生まれるそうだ。でも、それさえもぼくには関係がない。
そんなもの、ぼくが望んだことじゃない。
無形のもの。
それらの色や気配や波長や動く光に固有名詞をつけるなら、確かに人の言う神もオバケも宇宙人もいるけれど、それは特別なものなんかじゃなくて、ただ普通に存在するものだ。霧や光や雨雲みたいでしかない。
天使は本や絵に描かれているのはちがって羽根なんか生えていないし、あんまり感情はないし、でもとても友好的で何でも受け入れてくれることをぼくは小さい時から知っていた。オバケがテレビで観るほど人を脅かす力を持っていなくて、行き場がないからここにいることも。
そうやって暮らして来たから、ぼくにはそれがあたりまえで、あたりまえに存在することは恐怖を呼ばない。
みんなそうなのだと思っていた。小学校四年の夏までは。
あの夏の日の午後、ぼくは母さんにひどく怒られた。詳しい理由は覚えていないけれど、物事をあんまり要領よくテキパキとできないぼくは、何度も言われたことをその時もやっていなくて、母を怒らせたのだと思う。子どもの意地で反抗したけど、ヒステリーじみた母の表情と声がキリのように心に刺さって、それが怖くて悲しくて、ぼくは泣いた。大声で。
その時、母さんの体からヒュンと小さな白いほうき星みたいのがぼくに飛び込んできた。
声が聞こえた。
「おかあさんが、どうしてこんなに怒っているのかわかる?」
「わからない」とぼくは答えた。その声に。
小さなほうき星はぼくに、母の中にある渦を見せた。深い蒼の渦巻きを。
ぼくはダイレクトにその色を感じ取る。
深い蒼は悲しみの色だった。
母さんは怒っている顔や態度とは裏腹に、深い、深い色で悲しんでいた。疲れていた。もう何もできないくらいに。
だからぼくは、ごめんなさいと言った。
母のことが大好きだったし、その母が疲れ悲しんでいるのがかわいそうだったから。
ぼくがあやまると、母さんの表情は少しやわらかくなって、深い蒼が薄らぐ。怖くなくなる。温かくなる。
母さんの、その時の顔が好きだった。
自分の何がそんなにいけなかったのかわからなくても、それでぼくはほっとする。
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