会社(の)事情(第一話)「そら、エライコッチャ!」 の話

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 けれども、これは私だけの事ではないようで、友人E君(見合い結婚をする予定だった)も似ていて、結婚後の新婚旅行へ出掛けるに際して、旅行の全コースを事前にたった一人で周遊して、乗り換え方法や現地での観光の説明を全部頭へ叩き込んだのである。当日まごつかない為だと称していた。  彼の雑談力の不足の程度は私の上を行った訳だが、要するに女は呑気なもので、こんな密かな男の苦労を知らない。これを聞いて、ヤツは旅館で夜の布団の中のコースはどうやったんだろうと、他人事ながら低俗な心配をした。  さて話を戻して、前日に考えついた女と雑談すべき内容を、私は忘れないように左の手のひらにボールペンで記した。手のひらだから、要点を圧縮して書いた。カンニングペーパーである。書き切れない分を、右手に書こうとしたら無理と知ってがっかりした。代わりに足の裏には書けるが、これはイザとなって役に立たないし、額(ひたい)に書いたら相手にばれてしまう。  困難なカンニングペーパー作戦だったが、こんな試練があったればこそ、「問題解決能力」が人より発達し「策を練る」クセが自然に身に付いたものと思う。若い内に人は色々苦労をしておくべきだ。  デート当日は、バレないように左手を握りしめていた。時々チラチラと盗み見た。これで大抵上手くいった。アイデアと知恵の勝利で、お陰で話題の豊かな「面白い人」と思われて、大概の女が私を好きになってくれた。  処が、ある時新基軸の女が登場して番狂わせを引き起こした。私より七つ年下だったが、デート中に選りによって私の左側に立ち「手を握って欲しい」と訴えたのである。実に失礼な女と思ったが、こっちは突然の申し出に応用が利かないから、慌てて考えた: 左に居る女を右手で握ったら、進行方向があべこべになるから、止む無く左手を差し出した。これに「貴方の手に、バクテリアが付着している!」と言ってびっくりし、手のひらに黒々と書かれたカンニングペーパーがきっちりばれた。
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