春朧

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雨は間断なく降り続いていた。 傘を借りて歩いて帰った。 一日中、頭の一部分で涼也のことばかり考えていた。 時折、身体の芯が痛んだが、それより、股関節が痛い。 身体は随分柔軟なはずだけど、変に力が入っていたせいか。 「力抜いて…」 耳元で囁く声を思い出すと、電気が走るようにビクッとする。 「理央、夕べは泊まってきたの?」 と尋ねる母に、うん。とだけ答えた。 シャワーを浴び、鏡に背中も映して見たが、何処にも何の跡も付いてはいなかった。 涼也の腕に、背中に、幾つもの赤い指跡を残したのとは対照的に。 デスクマットには、太陽みたいに笑う涼也が居る。 誘って来たのは涼也の方だけど、僕が首を横に振れば、きっと何もなかった。 ずっと好き…だと言ってしまった。 首を横に振れるはずがない。 ああ、でも、涼也は…。 好きだとか、愛してるとか、そんな言葉を聞きたかった訳ではないけど。 理央。と狂おしく何度も呼んだけど。 会えて良かった。幸せだと言ったけれど。 一昨日と変わらず、 一昨日よりもっとずっとはっきりと、 涼也を想っていても良いのだろうか。 どフリーだと笑って言った時の一瞬の間。 ヴァージンみたいだと言った時の一瞬の困惑。 優しい囁き。 優しい愛撫。 僕の知らない涼也も其処には居る。 何もなかったように傷跡一つない。 身体の奥の深い処にある痛みが消えなければいいと思った。 思えば、連絡先も聞きそびれていた。 一枚の写メもない。 スケッチブックを取り出し、涼也の顔を描き始めた。 鮮明なうちに。 忘れないうちに。 瞳が、吐息が、唇が、僕の身体の上にあったことを忘れないうちに。 描いては消し、消しては描く。 確かなものが何もないのに、ただ、身体が繋がったことで、こんなにも涼也でいっぱいになっているのが不思議だった。 繰り返し思い出す一夜。 好き過ぎて、どうしていいのかわからない… 心も身体も。
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