【第二章:スズと風のサーカス団シルフ 一】

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 階段を上りきると、美味しそうな匂いが漂ってきた。  香ばしいのと、甘い、何か食欲をそそるような香りだ。 「お、今日はメルーお得意のミートパイが食べられるみたいだね」  ギンコが嬉しそうに笑った。  ギンコ側の店の反対側へ向かうと、そこには小さな厨房があり、メルーとレオナが忙しそうに動き回っていた。ヤカンでお湯を沸かす音もしている。 「ギン様は、いつものレモンティーでよろしいですか?  シンチロー様……ではなく、スズキ様はお飲み物はいかがなさいます?」  レオナがやや早口で問う。 「ああ、今日から彼は“スズ”だから。メルーもよろしくね。ボクはそれでお願い、スズはどうする?」  スズ、と呼ばれて何だか気恥ずかしかったが、 「ああ、ええと、じゃあ、ミルクティーで」と答えた。  ほとんど無意識に『炭酸飲料やジュースはないかもしれないし、レモンティーがあるならミルクティーもあるだろう』と、何となくいつものように気を使ってそう答えてしまった。  この世界では“自由に生きる”のなら、もう少しワガママを言ってみても良かったのかもしれない。そんなことを頭の片隅で思った。反射的に「同じもので」と言わなかっただけマシかもしれないが。 「かしこまりました」とレオナが優雅に答えた。  そして、「良くお似合いですよ」とスズに向かって微笑んだ。  そんなレオナの後ろで、メルーは鍋つかみをはめた両手を肩の高さに上げ、中腰でオーブンらしき物の中を睨んでいる。その表情は真剣そのものだ。  手術前のお医者さんみたいだな、とスズはちょっと微笑ましく思った。  するとメルーは「話は聞いている」、というように目で一瞬だけこちらを見て、鍋つかみをした右手の親指をビシリと立てて同意を示した。 「じゃあテラス席についてるから、あとは適当によろしくね」  ギンコがにこやかに手を振りながら厨房の前を通り過ぎる。スズはペコリと頭を下げてそれに続いた。
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