六話 元の襲来と鎌倉幕府の滅亡

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幕府の救済措置によって、御家人たちの怒りも鎮まり一旦は落ち着く。 しかしあくまで救済措置。 今までの借金が無くなっただけで、御家人たちの生活の苦しさは変わらずだった。 ------ 「ご主人、金欠ゆえお金貸してくれまへんか」 「もうあんたらには金は貸しません」 「え?何でですのん??今までの借金は帳消しでしょ?」 「そうやなくて、徳政令がある以上あんたらに金貸してもまたチャラになるのは目に見えてる。だからもう金は貸さん」 徳政令は、御家人の生活をさらに苦しめることとなった。 今までは生活が苦しくても借金で何とか日々を乗り越えてきたが、徳政令以降、御家人は借金すらできなくなった。 そして御家人の中から「悪党」と呼ばれる、幕府に従わない武士団が現れるようになり、この集団は荘園や寺院を襲い略奪を始めるようになった。 これらの悪党に、幕府も手がつけられない状態になっていた。 そんな幕府の混乱に目をつけた人物がいた。 ------ 「マジっすか?それ超ヤバくないっすか」 そう声を張ったのは後醍醐天皇(ごだいごてんのう)。 「今、幕府を倒せば天皇中心の政治を復活させることができますよ」 「なるほどね、じゃあぶっちゃけ今しかないっすよね?幕府潰しちゃいますか」 後醍醐天皇は、このタイミングを利用して幕府を倒し、天皇中心の政治を復活させようとした。 後醍醐天皇が動員した兵には、楠木正成(くすのきまさしげ)などの武将もいた。 兵を挙げ、倒幕に向けて動き出すが幕府にすぐバレて失敗に終わる(1324年、正中の変)。 それでも朝廷側は諦めなかった。 全国各地に声をかけ、幕府に不満を持つ武士などを集め、1331年、倒幕に向けて元弘の乱が起こる。 しかしこの計画も幕府にすぐバレる。 後醍醐天皇は幕府の襲撃に備えて笠置山(かさぎやま)に仮の御所をたてた。 山に立て籠ったので、幕府軍もなかなか攻め落とすことができなかった。 しかし結局後醍醐天皇は幕府に捕らわれてしまい、隠岐(おき)に島流しにされた。 しかし島流しの間も後醍醐天皇は武士と密かに連絡を取っていて、1333年、足利尊氏(あしかがたかうじ)が六波羅探題を陥落させ、新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉を攻略。 そして鎌倉幕府は滅亡した。
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