第十三章 筆折り損の

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 その目はすこし赤かった。  真っ先になぜ、という言葉が浮かぶ。  もしかして井上は泣いていたのだろうか。    ならなぜ、誰のために。  俺のためでないことは確かだろう。  ならやっぱりどうして…  ふと目についた紙袋に合点がいった。  凝った金の刺繍柄の白い袋は井上の動きに合わせてカサリと音を立てる。  何かを祝福するようなオーラをまとった上品な袋、これはきっと…。    引き出物の袋から目線を井上の顔にうつす。  きっと想像は間違っていない。  今日は結婚式だったんだ。   「あのさ…」 「入れば、風邪ひく」  呆れを含んだすこしだけ硬い表情で井上は俺に玄関を開けた。 「お邪魔…します」 「どうぞ」  井上は無愛想に言うと部屋の隅にそっと紙袋を置き、こわばった体を伸ばすように伸びをした。 「そこらへんに座れ」  部屋の真ん中には程よい毛足の長さの青いラグの上に角ばった黒いローテーブルがあった。  促されるままおとなしく座ると井上が俺にブランケットを放る。  その暖かさで思った以上に身体は冷えていたんだと気づく。 「狙って今日来たわけでもないんだろ」 「ああ、まあ…」   短く交わし無言でキッチンに立つ井上の背を見る。  ジャケットを脱ぎもせずお湯を沸かす後ろ姿に妙な安心感が沸き上がった。  そうだ、この感覚だ。  気まずい今でさえ心地よく感じる井上の存在。  井上になら素直になれた。  最初からそうだった。       最初から……好きだったんだ…
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