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「もっとこちらへおいで」
夫が私を呼んだ。凍ったアスファルトの上を滑らないよう、ちょこちょこと足を動かし、厚い布地の上からでも分かる親しんだ肉体に触れる。
「遅くに帰ってきて、そのまま外へ出てこいと言うから、何かと思ったら」
「こういうの、君の方が得意だろう」
「こういうの、って?」
「君は綺麗なものの名前をたくさん知ってる。あれは、なんていうんだ?」
空の中央。何も遮るもののない満月と、それを囲む虹の輪。あまりに完璧な円、と思ってから、おかしくなって笑う。
何も驚くことはない。完璧な円は自然の中にしかないのだ。
「なに?」
「ううん。なんでもない。これはね、月光の環と書いて『げっこうかん』というのよ」
「…意外にそのままだったな」
「変にひねる必要もないでしょう」
「でも綺麗な名前だ。なんだか酒が飲みたくなる響きだけど」
「これを私に見せたくて呼んだの? それとも名前を知りたくて?」
「両方」
真面目な顔で答えながら、夫は月の環を見上げている。
「じゃあ、『ありがとう』『どういたしまして』。
さ、はやく家の中に入って。外は寒い」
私に背中をぐいぐい押されて、夫はしぶしぶ歩を進める。
何でもかんでも、綺麗なものなら惹かれてしまう人。
鈍いようで鋭く、愚かなようで聡い。完璧な円のように満ち足りた不完全。
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