金の葡萄

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 強面でちょっと威圧感があるシェフの谷本さんは、お皿を無言で置いていくとさっさと厨房に引っ込んでしまった。谷本さんは少し苦手だが、作る料理は繊細で逸品だ。私はナイフとフォークを動かす前に料理のことについて考える。子羊のローストといえば定番のボルドーかなと思って、手を動かした。私はおいしいものを食べると語彙が貧困になる。ときには感嘆しか出てこない。とっても美味しい、そんな陳腐な言葉しか言えない。そしてやっと、ふたくち目で頭の中に入っているワインリストが動き始める。ローヌワインの赤もいいし、まだ少し暑いから軽めのブルゴーニュの白もいいかもしれない。美味しくてあっという間に子羊を食べ終わると、私は厨房に入って、ご馳走様でした、と言って食べたお皿を洗おうとしたけれど、市ノ川さんに止められた。 「そんなことより、ワインは決まった?」 「はい。おおよその見当はつきました。ワインセラーに行ってきます」 「それじゃ頼むよ、高橋さん」  はい、と私は市ノ川さんに返事をして地下のワインセラーに降りて行った。  半地下のワインセラーをシャツと黒いベストで入ると涼しく感じた。今は秋といっても、まだ暑い日が続く。これからは少しずつワインセラーのなかが暖かく感じるのだろか、と思った。ワインセラーにひとりでいると亜希のことをどうしても思い出してしまう。  亜希と私は大学一年生のとき、新入生歓迎会で出会った。歓迎会で先輩や一部の一年生がハイテンションで私は端でオレンジジュースを舐めていた。そしてその隣に座っていたのが亜希だった。亜希は私なんかよりコミュニケーション・スキルが高く、先輩たちから勧められるお酒をやんわりとうまく断っていた。亜希はジンジャーエールを飲みながら、私に話しかけてきた。 「高橋さんって無口だね」  私はびっくりした。一度、確かに自己紹介したけれど。こんなにひとが居て私の名前を覚えているなんて、と困惑した顔をした。そうすると亜希はひとの顔を覚えるのは得意なの、と言った。 「えーっと」     
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