プロローグ

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プロローグ

 イタリアのヴェローナという都市に、コロッセオを想起させる外観をした、アレーナ・ディ・ヴェローナという名前のコンサートホールがある。  世界で一番巨大なコンサートホールであり、通常は野外オペラの公演会場として使われていた。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス時代から存在している、古く、厳しい造りの建物であった。二階建てのアーチ型であり、一万六千人収容可能な観客席は、中央の舞台を囲んでいた。  だが今や、美麗なオペラの演技が披露されていたその舞台は、巨大な四角形の石の台座に置き換わっていた。台座というよりかは、石造りの決闘リングだった。  そしてその石造りのリング上は、現在、血で染まっていた。血だけではなく、内臓らしき塊、千切れた手足、血で赤く染まった服の切れ端、肉片、元は重火器の類であったのだろう、原型を留めていないガラクタなどが散乱していた。まるで、屠殺工場の廃棄物を辺りに撒いたかのようだった。  リング上に血に濡れた人影が立っていた。しかし、『人』ではなかった。それは、二本足で直立しており、腕も二本ある。だが、それ以外が異様だった。体長は二メートル以上あり、黒い毛に覆われた、筋骨隆々とした体躯をしている。その上に乗っている頭からは、巨大な二本の角が生えていた。そして牛を思わせる容貌。ファンタジーを読んだことがある者ならば『ミノタウロス』という言葉が頭をよぎるかもしれない。  リングを囲んでいる観客達も異様だった。南側半分は、地球上の様々な場所で見ることが出来る、多国籍な人間達だったが、北側半分は違っていた。巨大な耳が生えた者、翼が生えた者、蛇の下半身をした者、巨大な牙が生えた者等々、バリエーションに富んでいるが、明らかに仮装ではない、本物の『人外』達がそこにいた。中には、人間とほとんど変わらない者もいるが、良く見ると、耳が尖っていたりと、やはり少し違う部分があった。  リングに佇んでいたミノタウロスが大声で叫んだ。それはこの世界のどこにも存在しない言語だった。そのため、観客席の南側半分と世界中継として、この映像をテレビ越しに観ている人間達にはただの呪文のようにしか聞こえなかった。しかし、北側半分の奇怪な生き物達と、人間達の世界中継と同じように、『別の世界』で中継として観ている奇怪な生き物達には、はっきりと意味を成す言葉として聞こえていた。  「後二人でお前らの世界は終わりだぞ!こっちはまだ一人も死んでいないぞ!」  ミノタウロスはそう言っていた。  その声を受け、アレーナ・ディ・ヴェローナ内いる奇怪な生き物達は歓声を轟かせた。  ミノタウルスの言葉は判らなかったが、その歓声を聞いた世界中の人々は一様に、極めて理不尽な凶兆を孕んでいることを瞬時に理解した。  アレーナ・ディ・ヴェローナ内が血で染まる二ヶ月ほど前の話だった。突如として別世界から『それら』は現れた。エレサレムには異界に通じる門があると言い伝えがあるが、エレサレムどころの話ではなかった。世界中、至る所に巨大な『門』が出現したのだ。ロダンの『地獄の門』を思わせる、漆黒の禍々しい外観をした『門』だった。  やがて、その『門』からは、人ではない者達が現れ、圧倒的な力を以って、人類を襲い始めた。そして、瞬く間に世界中を侵略して行った。  そいつらはアサルトライフルや対戦車ライフルの射撃すら意に介さず、装甲車や最新鋭の戦車を単体で破壊し、ステルス戦闘機すらも易々と撃墜した。まるでそれは高度な文明を持つ異星人が攻めてきた映画を観ているかのようだった。  彼らの強さの秘訣は、人類にとって未知なる力であった。魔法のようなものである。その魔法はおとぎ話に出てくるような神秘的なものではなく、ただひたすら、破壊と戦闘に特化したシロモノのように思えた。  理不尽にも着々と侵略を行う彼らだったが、一つだけ大きな特徴があった。殺さないのである。戦車を缶詰のように開けておきながら、乗員を殺さず、背を向けるのだ。アサルトライフルの射撃をその身に受けながら。  戦闘機も、意図的に機関部のみを狙われ、脱出の機会を与えられていた。怪我人こそは多発しているが、破壊規模に比べて異様なほど死者が少ないのだ。始めは偶然かと思われたが、全世界の軍や自衛隊から同様の報告が相次ぎ、確信に変わった。そこで人類側に湧き上がった感情は安堵ではなく、極めて強い畏怖であった。人類を遥かに凌駕する戦闘能力を誇っておきながら、不殺という不可解な姿勢に、人類は猫にいたぶられる鼠のイメージを自分達に重ねた。  完全に生殺与奪の権を握られた人類は、最後の手段に出ようとする。核の使用を決意したのだ。大罪を被る核保有国の決断に異を唱えるものはあまりいなかった。いずれこのままでは人類は完全に侵略されてしまうのは火を見るより明らかだった。コンキスタドールによって、虐殺され、奴隷になるよりは、地球を犠牲にする道を人類は選んだのだ。  だが、それにストップをかける者がいた。敵側である。  彼らは地球で一番強い軍事力を持つ国の、政治の中枢に乗り込み、そこにいた地球で一番の権力を持っているであろう人間の首根っこを捕えた。そして、テレビクルーを呼び込み、その国の公用語を流暢に使い、自己紹介の後、不可解な提案と説明を行った。  彼らは地球とは違う次元にある、異世界の住人であり、侵略に来たのだという。何よりも「戦い」を重要視し、全ての決定権は戦いによって左右されるべきという思想を持っていた。だが、彼らには鉄の掟があった。戦いとは、戦士が一対一で命を賭して行うものであり、集団戦や、長距離兵器による攻撃は戦いではないという。  彼らは、異世界側と人類側からそれぞれ代表を五名選出し、どちらかが全滅するまで戦い、生き残った方が勝利とするルールで勝負を提示したのだ。もしも、人類側が勝てば、異世界側は降伏し、また異世界の門戸も開放する旨を公言した。逆に異世界側が勝てば、人類側が降伏を行い、征服を受け入れろとの条件だった。それを了承出来なければ、今度こそ手加減はしないと添えた。  人類側にとって光明かに思われた提案だったが、その実、何ら変わっていなかった。武器の使用は自由で、個人が携帯できるレベルならば、規定は無い。しかし、相手は一体で戦車を破壊する怪物なのだ。何を装備しようと、人間が一人で太刀打ち出来るはずが無い。滅びの道筋のルートが少し変わっただけに過ぎなかった。  それでも人類側は提案を飲むしかなかった。首を横に振っても、ハルマゲドンが訪れるだけなのだ。そして何より、首根っこを掴まれているこの星の代表が、恐怖のあまりその場で了承を行ったのだ。  こうして人類は絶望の決闘に望むことになった。  開催地はそちらが用意せよ、という異世界側からのお達しだったので、世界で一番広いコンサートホールが選ばれた。イタリアは当然抗議したが、人類未曾有の危機であるため、誰も耳を貸さなかった。  やがて、麗しいアレーナ・ディ・ヴェローナは、血みどろの戦いを迎えるための受け皿に改築された。もっとも、アレーナ・ディ・ヴェローナは、かつてはコロッセオのように、拳闘士達による凄惨な血の宴が繰り広げられていた場所なので、皮肉なことに、今の形こそが由緒正しい運用方法なのかもしれない。  やがて決闘の日が訪れた。  人類側からは、各国の、軍の中から手練れが選出された……とは聞こえは良いが、揉めに揉めた結果である。なにしろ殺されに行くも同義だからだ。志願式にしなければ、クーデターが起きる危険性を孕んでいた。そもそも最後の時くらいは家族と過ごしたいと除隊を申し出るものも少なくは無く、軍が機能不全直前まで陥った国もあった。そういった中での選出であるため、強さではなく、死を覚悟しているか否かが焦点になってしまっていた。言わば決死隊を選出するようなものだからだ。  そうして各国から集まった決死隊五名と、異世界側五名との一対一のデスマッチが幕を開けた。  最初から一方的な戦いだった。戦いにすらなっておらず、文字通りの虐殺であった。  異世界側の先鋒であるミノタウロスは、兵士側の重火器の連射などまるで意に介さず、平然と銃弾を受けながら、兵士に向かって突進すると、長々と聳え立っている角で突き刺し、そのまま持ち上げた。兵士の絶叫がこだまする中、バックブレーカーを行うように、兵士の体を頭上で海老反りに折り曲げ、引き裂いた。  破れた腹から腸や肝臓が零れ落ち、大量の血と共に、ミノタウロスに驟雨のように降り注いだ。これまでの戦闘では、異世界側は不殺を徹底していた。決闘でも同様のスタンスではないのかという淡い期待を、少なからず多くの人類は抱いていた。しかし、先鋒の兵士の腹が破られた瞬間に、その期待は脆くも崩れ去った。  次の兵士もほぼ同じ境遇だった。決闘開始の合図と共に、ミノタウロスは目にも止まらぬスピードで踊りかかり、兵士を両手で紙クズのように引きちぎった。唖然とした表情のままの兵士の上半身は、南側の観客席まで吹き飛ばされ、そこから悲鳴と嘔吐の声が渦巻いた。  中堅の兵士は趣向を凝らされたようだった。ミノタウロスはフィジカル的な戦いをせず、マジックを行った。  決闘が開始されると、兵士が発射したグレネードランチャーの直撃を受けたが、怯みさえしなかった。榴弾の白煙を纏いながら、ミノタウロスは大男の太腿ほどもある腕を前に伸ばし、手の平を上に向けた。そこに鬼火のような火の玉が出現したと思ったら、弾丸のようなスピードで兵士に向かっていった。兵士は、反射的に撃ち尽くしたグレネードランチャーの発射筒でガードをするが、無駄だった。火の玉が発射筒に触れると、鉄をプレスしたような大きな音を立てて爆散した。そして一瞬の間を置き、兵士の体は風船のように破裂し、辺りに散らばった。  南側客席にいる人類達から悲痛の声が上がった。中継映像を観ている人間達も、凄惨な光景と、破滅が一歩ずつ近づいてきていることに対して、悲鳴をあげているかも知れない。  ミノタウロスは大声で何かを叫ぶ。北側観客席にいる異世界人達が歓声を上げた。  テレビ画面に映ったその光景を自室で観ていた篠崎直斗(しのざき なおと)は、腰掛けていたベッドから立ち上がった。部屋に備え付けてあるクローゼットを開け、外出の準備をする。Tシャツとスウェットパンツを脱ぎ、ハンガーに掛かっていた青のアンクルパンツを履く。上半身は七部袖のボーダーカットソーを着た。  ふと、もっとカモフラージュを効かせた服装にした方がいいのではないかという疑問が頭をよぎるが、必要無いのだと思い直す。そこはすでに手を打ってあった。わざわざ昨日、上野まで出向き、買い漁ったのだ。購入する店を一つに絞らず、ハシゴして一式を揃えたのだ。その上、どこにでもあるような物を選んだ。さすがに店員も、これから『そこ』に映る物が、まさか自分の店で買われた商品かもしれない、という突飛な発想には至らないだろう。  直斗自身、高校一年生としては中肉中背であり、顔も何の特徴も無いマジョリティー的な顔だった。見知らぬ人間に一瞥されたくらいでは覚えてもらえない自信があるが、テレビに晒されれば、否応が無しに、誰かが直斗だと気付くだろう。真に警戒すべきは『戦い』ではなく『発覚』なのだ。  直斗は壁に掛けられた時計を見た。夜の十時を回った所だった。少し急がなければならない。  直斗は昨日、上野で購入した物が入ってある黒色のスポーツバッグを持ち上げると、窓際に近づいた。クレセント錠を下に降ろし、窓をゆっくりと開ける。六月の湿った空気が顔に纏わりついてくる。  部屋の明かりを消し、開け放った窓から下を覗き込む。月明かりを頼りに、誰もいないか確認をする。念のため、見える範囲全てに目を走らせるが、人影すら見えなかった。  今は世界中が、ジャッジメント・デイを見守るためにテレビに噛り付いているのだ。もしかすると、この時間帯こそが、人類史上で一番、隠密行動に適した瞬間になっているのかもしれない。  もっとも、その後すぐに人類が消えて無くなってしまうかもしれないが。  そうなるのはごめんだった。せっかく高校生になったばかりなのだ。高校生活がたった二ヶ月で終わるのはさすがに寂しい。  直斗は、スポーツバッグに紐を括り付け、窓からそっと下に送り出した。スポーツバッグが地面に着くのを確認し、紐から手を離す。再度、周囲を確認した後、窓を閉める。  直斗は、部屋の明かりを点けた。テレビを見ると、アレーナ・ディ・ヴェローナは決闘間のインターバルに入っていた。そのインターバルは三十分間設けられていた。インターバルにしては長いような気がするが、世界の命運をかけた大一番の戦いなので、そんなものかもしれない。  残りの決死隊のメンバーは二人。大将戦直前のインターバルを入れると、大将が戦線に立つまで、もう一時間も無い。  壁掛けの時計を見る。先ほど確認した時刻から、五分以上経過していた。時間が差し迫っていた。  直斗は急いで部屋を出ようとする。そこで忘れ物をしていることに気が付き、学習机に向かった。忘れてはならない、大切なものだった。  引き出しの一番下を開き、奥にある筆箱を取り出す。中を開けると、エムテックのフォールディングナイフが収まってあった。フォールディングナイフはその名の通り、折りたたみ式のナイフであり、携帯性に利便があった。このナイフはUSMC公式のナイフであり、カーボンラバーによる扱いやすさと、頑丈さ、切れ味を兼ね揃えていた。  直斗はフォールディングナイフをアンクルパンツのポケットにしまい込んだ。所持しているのはそれだけで、スマートフォンも、財布も、机の中に入れてあった。  テレビの電源と明かりを消し、部屋を後にする。  階下に降り、リビングに入る。そこには直斗の両親と、今年小学五年生になる妹がいた。三人ともテレビの前で不安げな面持ちだった。  「ちょっと友達の所に行って来るよ。すぐに戻るから」  直斗は母の蛍子(けいこ)にそう言った。最初の計画では、スポーツバッグと共に、窓から抜け出す予定だったが、いつなんどき誰かが部屋を訪れるとも知れなかった。後々やっかいな展開になりそうだったので、思い切って、外出する旨を伝える方法に転向したのだった。  蛍子は、直斗の申し出に、不安げな表情から、やや目を吊り上げた表情に変わった。  「今から? 駄目よ。時間を考えなさい。それにこんな時に」  「こんな時だから友達と会いたいんだ。明日、学校休みだし」  「お兄ちゃん、一緒にいようよ」  妹の春香(はるか)が直斗の元に駆け寄り、腰にしがみ付く。春香は、同世代の少女たちに比べて背が低くく、顔も幼かった。小学校低学年だと言われれば信じてしまいそうな程だ。  その春香の顔がおびえていた。凄惨な光景を、映像を通して観たせいだろう。小学生に見せる内容では無く、本来、両親が配慮するべきものだが、人類全ての命運に関わることなので、許しを得たのだった。  「ごめん。呼ばれちゃって。すぐに帰ってくるからね」  直斗は、春香の三つ編された頭を撫でながら答えた。  そして直斗は、リビングを出て、玄関に向かう。  両親が共に喚いていたが、無視をして、家を出る。どうせ帰ってくる頃には、表情は歓喜に一変しているはずだ。  先ほど降ろしたスポーツバッグを手に取り、夜の住宅街に飛び出した。  直斗の住む住宅街は、千葉県木更津にある、清見台地区にあった。古い住宅街であり、直斗が住んでいる家も、父方の祖父母が建てたものだった。五年ほど前に祖父母が立て続けに亡くなった後、それを相続した父がリフォームし、現在一家で住んでいた。  直斗は、この街が好きだった。古いが、温かみのある場所だった。もしも、人類側が負ければ、住むのもままならなくなるかもしれない。  直斗は、時おり利用しているマツモトキヨシの横を通り抜け、交差点を渡る。その先にある清見台中央公園の中に入った。  ここに到着するまでに、誰一人として出会わなかった。車すら見ていない。道路だけを見れば、丑三つ時のような閑散とした様相を呈していた。  直斗は清見台中央公園の中を奥に向かって進む。公園内部にも、全く人の気配は無かった。  中央にある時計台のモニュメントを通り過ぎ、予め目星を付けていた古ぼけた集会所まで到着した。誰からも見られていないか周囲を確認し、集会所内部も無人であることを確認してから、その影に入る。  直斗は、手に持っていたスポーツバッグを地面に下ろした。ファスナーを開け、中に入ってある服を取り出し、着替える。本来は、上空で行う予定だったが、確認の意味を込めて、ここで身に纏って行くようにした。抜けがあれば、家に引き返してフォローが出来るからだ。  直斗は、月明かりの中、自分の体を見下ろした。  緑色のフード付きマントコートに、黒のケーブル編みニットをインナーとして合わせた。そしてボトム部は、黒色のチノパンを履いた。そして足元は黒のロングブーツ。マント以外全て黒一色に統一した。  直斗は自分のこの姿について『ロビン・フッド』をイメージしていた。弱者のために、悪賊を退治する中世イングランドの英雄だ。これから行うことに相応しい姿と言えた。だが、改めて自身を見ると、不審者にしか見えない出で立ちなため、この際、意識しないようにする。  服の他に、マスク、サングラス、黒の綿手袋を用意してあるが、直前に身に着けるようにした。それらはまとめてチノパンのポケットに突っ込む。  服装と準備品に抜けが無いことを確認した直斗は、脱いだアンクルパンツのポケットからフォールディングナイフを取り出した。  直斗はフォールディングナイフの刃を出すと、息を呑み、右手の手の平を切り裂いた。熱さと痛みが直斗を襲う。何度も似たようなことをしてきたが、未だにこの痛みには慣れない。  深めに切り裂かれた手の平から血が流れ出し、公園の土に滴り落ちていく。ステンレス鋼の切れ味は抜群で、何ら防御の措置を取っていなければ、こうして易々と皮膚から血を流すことが出来るのだ。  これから造る物は、かなりの性能を持たせなければならない。なにせ、イタリアまでの距離を一時間以下で飛ぶのだ。もしかしたら、本番時に消費する血液量よりも、今ここで消費する量の方が多いかもしれない。  直斗は数秒間、血を滴らせた。そして、傷口周辺に付着した血を使い、止血する。量として言えば、採血時の半分程度だったが、もう充分だろう。  直斗は、少し後退り、血が染み込んだ地面を見る。  血が染み込んだ部分の土が盛り上がった。みるみる内にそれは大きくなっていく。やがて盛り上がりは形を成していった。アメーバーが分離し、新たな固体になる過程を見ているかのようだった。  そしてそれは、完全に形が整った。土の塊だった物は、今や、軽自動車ほどのサイズをした巨大な隼に変わっていた。  直斗は、翼を震わせている隼の頭を優しく撫でると、その背に飛び乗った。光学レーダー対策と、視認対策のため、自身も含めて、透明化させる膜を張る。  直斗が合図の声を出すと、隼は打ち上げロケットのように急上昇した。  隼を覆った膜には、風圧と『熱の壁』をほぼ完全に消滅させる効果と、胴体に吸着させる効果も持たせてあったため、急速な上昇だろうと、振り落とされること無く、背に乗っていられた。  あっという間に、直斗は房総半島を一望できる高さにまで到達した。大地がイルミネーションのように明るく煌いている。東京と千葉を結ぶアクアラインが、一本の光の筋となって、東京湾を割っていた。  さらに直斗は巡航高度まで上昇した。これからジルコンミサイルと同じくらいのスピードで飛ばなければならないのだ。ベストな高度を選択する必要があった。  直斗は、予め予習しておいたイタリアがある方角を確認すると、そちらに隼を向かせた。  イタリアと日本の時差は約七時間。着く頃には夕方だろう。日本の方が日付変更線に近いので、時を遡る形にはなるが。  直斗と隼は発進した。やがてすぐに、音速を超えたことを示す、炸裂音が発生した。  両親と共に自宅のテレビを観ていた篠崎春香は心の底から脅えていた。これまでテレビ画面に映し出され続けた陰惨な光景のみならず、その後に待ち受けるであろう恐怖を想像すると、大声で泣きじゃくりたくなる。  現に、今、母の腕にしがみつくようにしてテレビの前にいた。両親が口を揃えて、別の部屋に退避するよう勧めたが、春香は頑として首を縦に振らなかった。怖くて堪らなかったが、この決闘を、最後まで観続けなければならないような気がしたのだ。  異世界人達の侵略が始まってからこの先、人類がどうなるのか、教師や親もはっきりとは教えてくれなかった。しかし、テレビの報道や学校での同級生との会話で、想像はついた。以前、ロボットが反乱を起こして人類のほとんどが滅ぶ映画を観たことがある。生き残った僅かな人類が抵抗を続けているのだ。その戦いは悲惨なものだった。その姿が、春香には人類の行く末に思えた。  一時間近く前に、兄の直斗が、家から逃げるように外出した。本当に一緒にいて欲しかった。友達に会うと言っていたが、本当だろうか? もしも、実は会う相手が女の子だったら悲しい。両親や自分よりもその人を優先したのだから。  母親にしがみ付いたままの春香の目に、アレーナ・ディ・ヴェローナが映る。残すは大将戦のみだった。副将戦は、これまでと同じように、人類側が無残に殺されていた。相手の残忍な所業に、春香は身震いをする。  大将戦まで五分を切っていた。実況のアナウンサーが、それを告げた。凄惨な現場となった血に塗れたリングには、すでに大将であるアメリカの兵士が佇んでいた。手には大きなロケット砲のようなものを持っていた。  アナウンサーによれば、その武器は、この狭い範囲だと、撃った本人も危険であるため、自滅覚悟の戦いに挑むつもりかもしれない、とのことだった。  大将戦まで残り二分。これまでの展開から、戦いの趨勢は決まっているようなものだった。全人類、絶望的な心境でこの光景を眺めているに違いなかった。  春香は、そんな人々の姿を想像した。  皆、自分達のように、家族や恋人同士で抱き合い、死刑宣告を受ける無実の罪人のような気分で、テレビの前にいるのだ。そして、自分達も含め、その人達には未来がある。人類が負けた場合、具体的にどんなことが起こるかはっきりとはわからないが、きっとその未来は終わってしまう。兄や、母、父、学校の友達、親戚の人達、近所の人達、大好きな皆の未来が。  春香は強く願う。どうか神様、皆を救ってください。私はどうなってもいいから。  最後の決闘の合図が始まろうとしていた。その時だった。テレビの中の会場にざわめきが起こった。アナウンサーも驚きの声を上げた。理由はリング上にからだ。開け放たれている野外コンサートの上部から、パラシュートも付けずに降りて来て、スーパーマンのように、何の問題もなく、着地したのだ。   空から降りてきた人物は、春香の目には、少し前に学校の図書館で読んだ『ロビン・フッドの冒険』の主人公の姿に映った。緑のマントを羽織っていたからである。しかし、頭はすっぽりとフードを被り、顔はマスクとサングラスに覆われていたため、人相が全く判らない。その上、裾の長い緑マントのせいで、体格もわかりづらく、男女の区別が付き難かった。  春香は突然のアクシデントに釘付けになった。おそらく、テレビを見ているであろう、全ての人間がそうなっているはずである。  アレーナ・ディ・ヴェローナ内のリングに見事着地した直斗の足は、すくんでいた。これからの戦いの緊張のせいではない。360℃、全ての方角から注がれる視線のせいだった。思えば、直斗は、これまで大勢の人間の前に立ったことはほとんど無かった。せいぜい、クラスの発表会で、黒板の前に立った程度である。それが、この大舞台だ。自然と胸の鼓動が早くなる。  しかし、やるべきことはやらねばならない。  直斗は、鼓動の高鳴りを抑えながら、背後で唖然と突っ立ているアメリカの兵士を、手で制するジェスチャーを行った。そして、次に、正面に見えるミノタウロスをサングラス越しに見据えた。  直斗はそのまま、手を伸ばし、手の平を上に向けて、何度か指を曲げる仕草をする。カモンのハンドサインだ。挑発の意味を込めたが、伝わるだろうか。  一瞬、間が空き、会場内に割れるような歓声が響き渡った。それは主に異世界側からだった。直斗のジェスチャーの意味を解し、彼らが突然の乱入者を歓迎したことを表していた。  場内アナウンスが流れた。それは異世界側の言語だった。直斗は、そのアナウンスが、何と言っているか理解できなかったが、歓声が一際大きくなったことで、察しがついた。そして同じ内容の放送が英語で流れる。  英語に変わったからと言って、直斗のヒヤリング力では聞き取ることは困難だったが、「approve」「change」という単語を辛うじて拾うことが出来た。  やはり許可されたようだ。  その場内放送を受け、後ろの兵士が声を掛けてくる。  「Is it really all right to change?」  おそらく、いいのか? という意味だろう。直斗は頷いた。  「I wish you good luck」  そう直斗に声を掛けると、兵士はロケット砲を抱えたまま、リングから降りていった。その背中は、安堵したような気配に包まれているようだった。  ここまでは順調だった。  直斗は正面を見やった。五十メートルほど先に、ミノタウロスがいる。こうして見ると、相当恐ろしげな容貌をしていた。本能的な恐怖を感じる。ミノタウロスの表情は毛で覆われているため読み取れないが、喜んでいるように思えた。  ミノタウロスは大きな雄叫び声を上げた。空気を震わすその轟音は、自分が捕食者の立場だと強く主張していた。  ミノタウロスの雄叫びが止むのを待っていたかのように、決闘開始の鐘の音がアレーナ・ディ・ヴェローナ内に鳴り響いた。  ミノタウロスはボールを投擲するように、腕を大きく振った。何かが直斗目掛けて凄まじいスピードで飛んでくる。それは、以前、兵士を爆散させた火の玉だった。観客や、テレビの前の人間には見えなかったが、直斗にははっきりと見ることが出来ていた。体内の血を消費し、動体視力を強化していたためだった。  直斗は、黒の綿手袋に包まれた右手を前に伸ばした。手袋の手の平部分には自身の血を染み込ませてある。公園で止血した傷口を、再度広げ、こしらえたものだ。  直斗は飛んで来た火の玉を右手のみで、小学生が投げたボールを捕球するかのように、軽々と受け止めた。右手の手袋から化学製品を焼いたような、嫌な臭いが鼻をつく。  そして直斗は、火の玉を握り潰した。火の玉は音も無く、霧散する。  ミノタウロスは唖然とした表情をした。ようやく表情をはっきりと読み取ることができた。驚くと、ポカンと口を開ける仕草は異世界人も共通らしい。  南側観客席から、歓声が上がった。それは人類側が初めて上げた歓声だった。凶悪で不可思議な力を、人類側の味方が容易く退けたのだ。そこには驚愕と期待の色が渦巻いていた。  直斗は自分へと向けられた歓声の中、右手を何度か握り締めた。手の平に滲み出ている血液を消費したので、出血を促し、再度、手袋に染み込ませるためだ。黒色の手袋なので、血が染み込んでいるとは誰からも気付かれないだろう。この決闘の映像を後から観直しても、タネはわからないはずだ。  魔法が通じないと見るや、ミノタウロスは闘牛のように角を向け、直斗に突進した。凄まじい加速力で、一瞬にして時速100キロほどに達したようだ。凶悪な蹄の音を響かせながら、あっという間に眼前にまで迫ってくる。  しかし、直斗は動かなかった。体内の血液を消費し、全身に力を漲らせる。特に下半身には重点的に力を回す。  ミノタウロスの隆々とした角が直斗に刺さる瞬間、直斗はその角を掴んだ。そして堪える。即座に突進の勢いが消滅し、牛頭は完全に停止した。なおも牛頭は突進しようと足を動かすが、直斗は微動だにしなかった。ミノタウロスは大人に相撲を仕掛ける子供のようだった。  そして直斗は、掴んでいるミノタウロスの二本の角を木の枝のように、容易く根元から折った。ミノタウロスは絶叫し、折れた部分を押さえながら大きく仰け反った。さらに直斗は、無防備になった腹部に、折り取った二本の角をフェンシング選手のように突き刺す。その二本の角は、鋼のような筋肉を容易く突き破り、埋没した。  ミノタウロスはさらに耳を貫くような大きな絶叫を発した。ミノタウロスはタフネスらしく、腹部を刺されただけでは機能停止には到らないようだった。ならば、絶対的な損壊を与えればいい。  ミノタウロスは、耐えかねたように背後に飛び跳ねて、間合いを取った。だが遅かった。すでに直斗は、ミノタウロスの背後へと回り込んでいた。右手の手の平をミノタウロスの背中に当て、手袋に染み込んだ血液を使い、爆発のためのエネルギーを送り込む。  ミノタウロスは水風船を叩きつけたような音と共に爆散した。指向性を持たせた爆破だったため、肉片や内臓が直斗とは反対方向に、扇状に広がった。直斗には血飛沫一つ、掛かっていなかった。  先ほどよりも遥かに大きい歓声が轟いた。人類が初めて異世界側に一矢報いた瞬間であった。人類がいる南側の観客席ばかりではなく、北側観客席からも歓声と怒号が入り混じった不協和音の声が発せられている。それらは、地鳴りのようになって、会場内を満たした。  会場内だけではなく、テレビの前で、奇跡のような展開を目撃した人間達も、皆一様に、驚愕と感動の声を上げているに違いない。  響き渡る歓声の中、直斗の勝利を告げるアナウンスが異世界語と英語で流れた。  まずは第一関門は突破したと見て良いだろう。これから先は無し崩し的に、直斗の続投が決まるはずだ。  インターバルを告げる音が鳴った。本来ならここから三十分間、インターバルが入るはずである。  しかし、異世界側の次鋒は我慢できなかったようだ。自分の戦いが回って来ないことへのフラストレーションが溜まっていたのか、目の前で無残にも殺されたチームメンバーの復讐心からなのか、ルールを無視して、リングに上った。  二足歩行の蜥蜴のような生き物だった。緑色の鱗を蠢かせ、直斗の視線の先に立つ。そして、鐘の音も何も待たず、直斗に向かって突進した。  直斗はこれでいい、と思った。下手にインターバルを挟んで時間を取られるよりは、即座に続行した方が良かった。まだ四人も相手が残っているのだ。早めに事が進むのは、かえって好都合だった。  直斗は向かってくる蜥蜴を見据えながら、右手を握り締め、手袋に血を染み込ませた。  突如として上空より舞い降りた緑マントの人物により、それまで虐殺されるだけだった人類側の反撃が始まった。次峰である蜥蜴のような生き物は、一瞬で間合いを詰めた緑マントの手刀一発で、魚の開きのようなって絶命した。  その後も、狼男のような外観の異世界人や、巨大な熊のような異世界人がインターバルを挟むことなく、次々に挑みかかるが、ことごとく、一蹴されていた。  残る異世界側の戦力は大将のみだった。人類側も飛び入りとはいえ、同じであるため、事実上の最終戦と言えた。  世界中の人間は、急激な展開を映し出しているテレビ画面から目を逸らせずにいた。会場内の南側観客も同じように、目の前で繰り広げられている目を疑う逆転劇に、心を奪われていた。狩られるだけの絶望的な戦いが一変し、こちらが狩る側に立っているのだ。緑マントの英雄のごときその姿に、強い尊敬の念が集まり始めていた。    直斗はリング上で、最終戦の相手と対峙していた。最後の敵は、それまでの相手とは違い、人間そっくりの容姿をしていた。むしろ平均的な人間よりも審美的に優れていると言っても良かった。  高い鼻に、透き通るような白い肌、黒のマントを纏った体は、スラリとした長身だった。白人の男性モデルのようだった。ただ、耳が尖ってることを除けばだが。  決闘開始の鐘の音が鳴り響く。命運を決する戦いが幕を開けた。  これまでは、異世界側のメンバーは皆、判で押したように、決闘が開始するや否や襲い掛かってきたが、今回は違った。長身の異世界人は、ゆっくりと直斗の方に歩み寄ってくる。全く敵対心を見せない、爽やかな笑顔をその顔に纏いながら。  それを受けて、直斗は警戒をする。何かしらの策を弄するのであろうと思った。たとえば、油断させて攻撃を打ち込むような、小手先の策を。  異世界人は、直斗の目の前にまでやってきた。綺麗な目が直斗を見据えている。直斗は、すぐに反撃が出来るよう、身構えた。  しかし、異世界人は意外な行動を取った。爽やかな笑顔のまま、話しかけてきたのだ。しかも、こちらの世界の言葉で。  英語だった。とても流暢で、流れるように喋っている。  会場内放送もそうだったが、直斗には英語を聞き取れる力が無い。目の前の異世界人が、いくらこちらの世界で一番使われている言語を話そうが、無駄なのだ。  だが、それをあからさまに示してはならない。英語を理解できない人種だと判明されてしまう。もちろん、それだけでは身元を解明するまでには至らないだろうが、モニタリングされているのだ。音声も拾われているかもしれない。用心を重ねて置くべきだ。  直斗は、なおも英語で喋り続ける目の前の異世界人をノーリアクションで見つめた。意図はわからないが、やたらと訴えたいことがあるようだった。  石像のように固まっている直斗が、そろそろリアクションを取らないと逆に疑われるかもと、考え始めた時だった。異世界人は言葉を切った。そしておもむろにマントの中から何かを取り出した。  それはグレープフルーツほどの大きさの、藍色の球体状のものだった。ブルークォーツ水晶に似ていた。  その球体状のものは、中心が白く輝いていた。と思ったら、たちまちその白い光が広がり、球体を埋め尽くした。そしてすぐに高出力の電球のように、眩い光となって、周囲に溢れ出した。  ミサイルを打ち込まれたような強い爆風と衝撃が生じた。直斗は、咄嗟に両手で顔をガードする。それでも、頭に被ってあるフードや、サングラスが吹き飛ばされるのがわかった。ゴムが焼けるような嫌な臭いが漂った。  直斗はしまった、と思った。油断をしていた。まさか自爆するとは。  すでに、体内の血液を消費し、肉体を強固にしていたため、直斗の体には、かすり傷一つ付いていない。しかし、服が部分的に焦げ、サングラス、フードの一部が吹き飛んでしまった。かろうじてマスクはガードした腕のお陰で残ってはいるが、これだけでは不十分だ。このままでは、全世界に正体が発覚してしまう。  辺りは爆発による煙に包まれていた。自爆を行った張本人は、バラバラになって吹き飛んだようだ。煙幕のような爆煙越しに、会場のざわめきが聞こえる。  どうにかしなければ。  直斗は周囲を見渡した。  異世界側の大将である人間そっくりの異世界人が自爆を行い、会場は大きな喧騒に包まれていた。爆発の範囲自体は狭かったらしく、観客席まで巻き込むことはなかったようだ。  中央のリングは爆煙に覆われ、中の様子はうかがい知ることが出来ない。テレビ中継でその映像を見守っていた世界の人々は、固唾を呑んで煙が晴れるのを待った。  やがて徐々に煙が薄れ始めた。その中に人影があった。煙が晴れるに従い、はっきりと姿があらわになる。そこにいたのは緑マントの人物だった。他に人影は無く、対戦相手である異世界人は、リングに空いた大穴の周りに散らばっていた。  緑マントの人物は、大きな爆風と衝撃があったにも関わらず、五体満足だった。フードやマスク、サングラスも乱れなく装着していた。ただ、緑マントは損傷があったようだ。正面に晒していた部分が焼け焦げていた。  会場内放送が人類側の勝利を告げた。これまでで一番大きな歓声がアレーナ・ディ・ヴェローナに湧き起こった。大地を揺れ動かすような激しさだった。  テレビ中継を見守っていた世界中の人間も、人類側の勝利に歓喜した。ある者はお互い抱きしめ合い、ある者は喜びのあまりに泣き出した。  人類の未来が開けた瞬間だった。  会場内の歓声に包まれながら、直斗はホッと胸を撫で下ろした。  危なかったと思う。爆発の範囲が狭かったことが幸いした。凄まじい衝撃と爆風だったが、自爆のシステムは、周囲の観客に影響が無いように、調整されていたらしい。どういった理屈かはわからないが、リング上のみが爆発の影響下にあったようだ。リング外にはそよ風ほども爆風が行かなかったということだ。  そのため、吹き飛ばされたフードの一部とサングラスはリング上にあり、拾い集めることが容易かった。サングラスはフレキシブルフレームの弾性がある素材だったため、ヒビが入っただけだった。フードの方は、一部分が爆風で千切れて飛んでいた。  急いでそれらを拾い集め、修復したのだ。手袋に染み込ませてある量の血では足りなかったため、手袋を外して直接、傷口から血を使った。  両方の修復が完了すると、急いで身に付けた。煙が覆っている内に終えたので、直斗の素顔を目撃された心配は無かったはずだ。とは言っても、異世界人もこの会場にいるのだ。異世界人の能力は未知数なので、何か煙を見通すような、赤外線のような力を持っていてもおかしくはない。しかし、そこまで考えていたらキリが無い話だった。  直斗は、なおも勝利の歓声に包まれている会場内を見渡した。北側の観客も、歓声と怒声を直斗に向けて浴びせている。  会場内への入り口から、スタッフらしき異世界人と人間がこちらに駆け寄って来るのが見えた。  そろそろ潮時だろう。  直斗は上空に待機させてあった隼をリング上に降下させた。突如現れた巨大な隼に、会場内が歓声からどよめきに変わる。直斗は隼の背に乗った。  こちらに駆け寄って来ていたスタッフが何やら叫んだが、直斗は無視をして、一気に隼を上昇させた。  見る見るアレーナ・ディ・ヴェローナが小さくなる。そして、そのまま巡航高度まで達した。辺りはすでに夕闇に覆われていた。  直斗は隼を透明化させると、日本がある方角へ向かせた。眼下にはイタリアの街並みが広がっている。  これから日本へとんぼ返りだ。ある意味日帰り旅行とも言えた。  直斗は隼を発進させた。たちまち隼は速度を上げ、決戦の地であったイタリアを後にした。  アレーナ・ディ・ヴェローナでの決闘で人類が勝利した後、世界は大きく動いた。異世界側は公約通り、降伏を行い、撤退した。それと同時に、異世界への門戸も開放した。  彼らは、異世界にある一国の者達だった。リウドという大国らしい。ある時、偶発的にこちらの世界を感知し、研究が始まった。やがて、こちらの世界へと移動できる『門』が開発された。そして、複数回の敵情視察により、勝てると見込んだリウド国は、その『門』を使っての侵略を行ったのである。  しかし、予想だにしない逆転劇に敗北を喫し、彼らの侵略プランは音を立てて崩れたのだった。  異世界への門戸が開放された後、人類側とリウド国との間で平和条約が締結された。それはベルサイユ条約のように、リウド国に不利な条約だった。しかし、リウド国は、あっさりと受け入れた。そして、双方での交流が始まった。  だが、水面下での動きがあった。リウド国は、血眼で緑マントの人物を探していた。自分達の敗北の元凶に報復を考えていたのである。また、戦いを重要視する国であるため、その強さの根源に興味があった。  人類側も同じであった。依然として、リウド国の方が武力は上なのである。決闘に勝利し、彼らのポリシーのお陰で優位な立場を保持できているが、彼らがその気になれば、人類を滅ぼすことは容易いのだ。再び脅威が迫ることを予見し、早急に緑マントの人物を確保する必要があった。  国連が様々な言語で、多数の媒体を通じ、名乗り出るように呼びかけたが、無駄だった。  次は、映像の解析を行ったが、何も判明しなかった。異世界側も魔法を媒介にした映像装置で解析を行った。しかし、彼らの魔法は戦いに特化したものが多いため、映像の解析能力は人類より低く、やはり無駄に終わった。  いつしかこちらの世界では、緑マントの人物は『ロビン・フッド』と呼ばれるようになっていた。意図的なのか、服装が映画や小説に登場する『ロビン・フッド』に酷似していたためである。また、その『ロビン・フッド』の行動原理の通り、侵略者という悪を倒し、弱者を救った点でもそう呼ばれる根拠の一つとなっていた。  やがて、その呼び名はリウド国にも飛び火した。  ロビン・フッドは、人類からは英雄視されると同時に、唯一、異世界人に対抗できるシルバーバレッドとして狙われ、リウド国からは、不倶戴天の敵として狙われるようになった。  アレーナ・ディ・ヴェローナでの決闘から一年が経ち、直斗は高校二年生になっていた。  直斗が通う高校に、異文化交流として、リウド国から、二人の吸血鬼が留学して来た。
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