第75話『忘れまじ O先輩』

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第75話『忘れまじ O先輩』

はい、職場の移動、退職の時期でありますが、僕の非常にお世話になった(表向きの言葉であります。一応ね、こう書かんと)O先輩への鼻くそ(いやいや、はなむけ)の意味で何か出来んかなと考えたあげくやっぱり、こんな方やったと暴露するのが一番のはなむけやろうと思いましたので、ここに書くことといたします。O先輩あしからず。でわでわ第75話感謝の気持ちを込めていってみよう。 僕とO先輩の出会いは、遙か約35年前に遡る。那智中学校を優秀な下から数える方が早い成績で卒業したタケちゃんとほんまに成績の良かったミスターミュージシャンのオリバーいさお君は、新宮高校への受験をなんとか突破し花の高校生活を始めた。「なあ、吉野クラブ何入るん、俺ブラバン入ろか思うんやけど一緒に見学いってくれへん。」といさお君。「ああ、ええよ。俺、陸上入ろか思いやるんやけど。まあついていったるよ」と僕。それが運命の返事だった。見学のつもりが2人とも入部。いさお君は、サックス、僕はユーフォニュゥムという訳わからん(あの~、けなしているわけではありませんので、すいません)楽器を受け持つようになりその年の夏の合宿を迎えた。そこにあのO大先輩が後輩の御指導と言うことでお越しになられたのであります。O先輩は、僕より7つ上でその頃近大の吹奏楽部の部長だったと記憶しとります。だからものすごく雲の上の人で、ちょっと変な音出したら竹刀でどつかれるんやないかと思うほど、すごい先輩だったのであります。それが初めてお目にかかったときの印象であります。それから3年たち僕らも高校卒業し、僕は上京し30歳で勝浦に帰ってきて難関を突破し観光協会へ入社。O先輩は商工会で働いておられました。その頃はO先輩も僕も今のドラマに出てくるイケメン俳優のごとくスマートで、当然腹も出ていなくて、きびきびと動き回るかっこええ団体職員でありました。(歳と月日というのは人をこんなにも変えてしまう物なのねぇ)その頃から会議や、町あげてのイベントで、O先輩とは、ごいっしょさせていただきました。まぐろ祭りでは第1回より、あげいん熊野詣ではO先輩は初回より、僕は第8回より、花火大会でも平成6年から約10年、商工祭でもお互い初回よりお世話になりました。
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