40-2.人種差別のある日常(2)

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40-2.人種差別のある日常(2)

 六月の終わりに近づく頃になると、志光は魔界日本における金の流れを概ね把握できるようになった。その間に、アメリカではとんでもない事件が起こっていた。  某所で警察官に拘束された黒人男性が、長時間にわたって頸部を膝で強く押さえつけられたために死亡すると、これに怒った一部の住民がデモを始めたのだ。それは、当初こそ平和的だったものの、やがて暴徒化するグループが現れて、警察署や無関係な店舗への襲撃を行った。 「水晶の夜(クリスタルナハト)を思い出すわね」  上野桜木町のマンションにぶらりとやって来て、暴動の様子をウニカ自動人形と一緒にテレビで見ていたクレアがボソッと呟いた。隣に座っていた志光は、確認のために質問する。 「クリスタルナハトって、一九三八年にドイツで起こったユダヤ人襲撃事件のことですか?」 「ええ。ドイツだけじゃなくて、オーストリアでも起きたはずだけど」 「でも、クリスタルナハトはドイツ人のユダヤ人に対する差別感情が原因で起きた暴動で、今回の暴動は黒人に対する白人の差別主義への反発が原因で起きた暴動でしょう?」 「ナチスが計画的に起こしたものだけど、差別主義が背景にあったのはその通りね。でも、It is an easy thing to find a staff to beat a dog.って言うでしょう?」 「〝犬を叩く棒を見つけるのは簡単だ〟ってことですか?」 「ええ。他人に暴力を振るう理由なんて、どうとでもなるわ。だって、善悪二元論で考えたら、悪い事をしていない人間なんて存在しないんですもの」 「確かに」 「ユダヤ人を差別したいなら、ユダヤ人の悪いところを見つければ良いのよ。特にキリスト教では長い間にわたって利息をとることを禁止していたから、彼らの代わりに銀行や質屋を営むことが多かったユダヤ人を〝悪〟だと決めつけることは簡単だったわ。でも、そのうち金融業とは関係の無い仕事に就いていたユダヤ人が、ドイツ人から攻撃されるようになった。断言しても良いけど、今回の暴動もそうなるでしょうね」  クレアの予言は的中した。  まず、一七世紀のイギリスで活躍した商人、エドワード・コルストンの銅像が引き倒されるという事件が各国のトップニュースとして扱われた。コルストンは病院や学校の建設に私財をなげうった篤志家として尊敬されていたが、後に彼の蓄財は奴隷貿易によって行われていたことが広まると批判が相次ぎ、記念に建てられた銅像は攻撃の対象になっていた。  次に引き倒されたのは、南北戦争時に奴隷制度の維持を唱えたアメリカ連合国の大統領、ジェファーソン・デイビスの像だった。いずれも違法行為だったにもかかわらず、黒人奴隷への苛烈な扱いが背景にあるとして、加害者を擁護する声が多かった。  しかし、ポートランド州オレゴン、あのアメリカ合衆国内で唯一黒人のあらゆる権利を認めなかったオレゴンで、第三代アメリカ合衆国大統領だった、トーマス・ジェファーソンの像と、初代合衆国大統領だったジョージ・ワシントンの像が破壊されると風向きが変わってきた。どちらもバージニア州で奴隷労働を利用したプランテーションを経営していたのがその理由だったが、アメリカ合衆国建国の父とアメリカ合衆国独立宣言の主要な著者すらも攻撃の対象になったことによって、それまで加害者を持ち上げていた日本のメディアがトーンダウンした。  次に撤去の対象になったのは、ニューヨークの自然史博物館に展示されてあった第二六代大統領、セオドア・ルーズベルトの像だった。生前のルーズベルトが黒人と先住民を劣った存在と見なしていた証拠がある、というのがその理由だった。  そして、ついに第一六代大統領エイブラハム・リンカーンの像も攻撃の対象になった。南北戦争で北軍を率い、奴隷解放宣言を発布した人物が攻撃の対象になったのは、彼の像の脇に跪いた黒人奴隷の像があったからだった。  同日には、反奴隷活動家で南北戦争でも戦ったジャーナリスト、ハンス・クリスチャン・ヘグの像が引き倒された。それから数日後には、南北戦争において黒人部隊として戦った、第五四マサチューセッツ歩兵連隊の記念碑にスプレーで落書きがされた。  これらの破壊行動を、もはや日本のメディアはほとんど報道しなくなった。また、ネット上では破壊者を擁護する人々が「反奴隷活動家の像を破壊してしまったのは、きちんとした反差別教育がなされていなかったからだ」という趣旨の発言を繰り返した。  もちろん、誰も黒人の明確な定義は行わなかった。黒人の血を半分引いていても黒人なのか、四分の一でも黒人なのかという議論は話題にも上らず、ただ何となく黒人という曖昧な概念だけで善悪の判断がなされた。  犬を叩く棒は無限に湧いて出た。悪い事をしていない人間はいないのだから、幾らでも罰を与える理由が見つかった。  暴徒の群れから身を守ることができたのは、銃で武装している人たちだけだった。道徳的に正しいか、正しくないかよりも、抑止力を持っている方が重要だった。  志光は上野桜木町のマンションで、パソコンを利用して注意深く暴動の情報を収集した。一連の騒動に、ホワイトランドが関わっているかどうかを確認するためだった。  日本ではほとんど報道されていなかったが、白人至上主義者たちは切歯扼腕していた。デモ参加者の不可解な死亡事件も起きていた。  しかし、池袋で起きたような大規模な破壊活動、それも悪魔絡みとおぼしきものは見つからなかった。志光はホワイトランドが「分を弁えた」と判断した。
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