別れのキスは耳朶《みみたぶ》に

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別れのキスは耳朶《みみたぶ》に

 最上階の窓越しに広がる東京の街は、無声映画のように寡黙だ。千鳥(ちどり)(ふち)の桜のライトアップの色彩だけが遠く望める。 「こうして飲むのも久しぶりね。七年ぶりかしら。私が福岡に転勤になる、前の晩だったわね」  「ああ……」   久田(ひさだ)は、昔の女と飲む居心地の悪さに、曖昧に答えた。あの時と同じホテルのスカイラウンジ。来月には三十二になるというのに、智子(ともこ)のプロポーションはあの頃のままだ。引き締まった足首。やや硬そうな上向きの胸。絶妙なくびれを描くウエストライン。  この春から智子は本社の課長になったが、付き合っていた頃はまだ入社二年目だった。久田の会社では、総合職でも二年間はコピー取りなどの下働きをするのが習わしだった。久田の課に配属になった智子との交際は、その期間が明けるとともに終ったのだ。営業希望の彼女は、久田のいる中央研究所から、福岡の支社に移って行った。ちょうど入れ替わりにエンジニアとして配属になった現在の妻と付き合うようになったのは、自然なことだと言えるだろう。しかし、久田にはどこか後ろめたさがある。智子がいまだに独身でいるのも気に掛かった。  智子がグラスを掌で弄びながら、窓の外を眺めて言う。      
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