16、戻れないのに

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 東條はいつになくテキパキと指示を出し、水村と撮影のポジションを確認すると、楽しそうに雑談を始めた。耳に入ってくる話題が、仕事のことなのか、テレビで人気の女子高校生タレントのことなのか、柳森にはほとんど理解できなかったが、その和やかな雰囲気のおかげで、少しは気が紛れた。  柳森は、あらかじめ監督と打ち合わせておいた、飛び込む直前までの3種のパターンを、プールサイドで演じることにした。  東條は、1つの演技が終わる度に、水村が撮影した映像をチェックし、撮影ポジションを変えながら、何度も同じ演技を要求した。そして、3種類全ての演技を撮り終えると、「よし、じゃあ、やってみるかな」と、体を軽く動かしてイメージトレーニングをした。  「すみません。ちょっと待ってください」  東條がスタートの位置に立つと、柳森はそう言って、用具室から滑り止め用のマットを持ってきた。  「一応、クッション性もありますから、痛くないと思います」  そう言われて、初めて、柳森を固いコンクリートの上で何度も走らせていたのだと、東條は気付いた。  「すまない。君の足は平気か?」  「僕は大丈夫です。でも、東條さんに何かあったら困りますから」  柳森が、いつもの笑顔を見せる。  水村がいなかったら、抱きついてしまっていたかもしれないと、東條は思った。  シャワールームで柳森に手を出してしまったことを、東條も気に病んでいた。二人でマスを掻きあった後、何でもないことのように振る舞うのは至難の技だった。かといって、もうどんな弁明も通らない気がして、逃げ場を求めるように、水村に来てもらったのだった。  案の定、プールに来ても微妙に視線をずらす柳森に、東條は、練習に集中することで、余計なことを思い出させないよう気を配った。また元の関係に戻るまで、嘘でも何でもついて、ひたすら耐えるつもりでいたのだが、柳森の笑顔に心の底からホッとする。  「水村君、録画して」  スタートの場所に立つと、東條は片手を上げて、水村に合図した。  1つ目の演技を思い出しながら、東條は動きを真似た。  両足を揃えて立って、両腕を水平に上げる。両足の踵を上げて全身のバランスをとり、軽く4歩走っている間に、斜め後ろに振った両腕を、力強く振り上げる。そして、そのままジャンプして、前転の姿勢をとった。
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