16、戻れないのに

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その時は、東條が天性のスターなのだと思っていたが、今みたいに、何度も細かい修正を繰り返して本番に望んでいるのではないだろうか。初めて飛び込み台に上がろうとした日、東條は「一発OKだ」などと言ったが、やはりあれも嘘だったのだ。  そう考えると、柳森は、東條から溢れ出した言葉の何が真実なのか、見抜けない自分自身が情けなかった。  「OK。だいたい掴めた。柳森君、次、どうする?」  不意に声をかけられて、柳森は、時計を見た。  「少し早いですが、今日はここまでにしましょうか」と、マットを片付け始めると、水村が、「柳森さんの飛び込みを撮らせてもらえませんか」と、無遠慮に聞いた。  「現役の時の映像はDVDで見たんですが、最近の映像があった方がいいと思うんですよね。東條さんも、そういう映像を見ておいた方が、芝居がやりやすくなるんじゃないですか?」  いつもは役者のモチベーションなど気にしないのに、妙なところに気がまわる。これも、やたらと細かい西脇に鍛えられた成果かと思うと、東條は少々癪に障った。  東條も見てみたいのはやまやまだった。だが、ここ数日、何となく気まずい雰囲気が続いていて、気軽には頼めなかった。  「水村君、それは今度にしない? 柳森君にも準備があるだろ。ただ飛び込むわけじゃないんだから、トレーニングしないと‥‥」  「準備はしています。2、3本で良ければ、撮影予定のものを飛んでみましょうか」  遠慮がちに水村の説得を試みる東條に、柳森は言った。  そして、「観客席からの方がうまく撮影できると思います」と、水村にアドバイスして、10メートルのプラットフォームに上がっていった。  柳森は、「行きまーす」と合図すると、プラットフォームの奥から走ってきて、目で追えないほどの動きで回転して着水した。  「うわー、速いよー。全然撮れない。東條さん、もう1回、同じのやってもらいますか?」  「いや、いいよ。フォローしなくていいから、引きのまま撮っておいて」  柳森が全身で映るサイズで撮影していた水村は、わずか2秒程度で着水する演技をフォローできずに大騒ぎしたが、東條の気持ちは心なしか沈んでいた。  前に見た飛び込みの映像より、着水時の水飛沫が大きい気がする。
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