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彼が知っている静寂の世界とここは何もかもが違う。どちらかを否定するつもりは彼には無かった。ただ、こういう世界をもっと早くに知っていれば、何か変わっていただろうかと思った。もっと自由な人間になれただろうか。自分で声を上げて、手を伸ばして。そうすれば。
(そうしていれば、父様とも……)
ずっと抱き続けてきた後悔が、また重たい種となって心に落ち着いてしまう前に。
ヴァレンタインは腕を引かれて立ち上がった。
「えっ」
「踊るぞ!」
慌てて顔を上げれば、そこにはベスの悪戯っぽい笑みがあった。
踊り場と観客たちは今、次の「二人」を待っている。
「だけど、踊りなんて、俺……!」
「適当でいいんだ。思うままに動けばいい。さあ!」
二人は視線の真ん中に躍り出た。逞しい老齢の男と、息を呑むほどに美しい青年の登場に、周囲は俄かに昂っていく。ベスに手を握られたヴァレンタインは混乱する頭で、流れ込んでくる音楽を聞いた。
上手くやらなければ、だとか。
見られているから、だとか。
彼が日常的に考えていることが、ぽんと頭から飛んでいって。
(どうにでもなれ)
思うままに。許された自由の中で。
足は自然と動いていた。それは彼が幼い頃から身体に叩き込まれた、上流の社交界で使うような足の使い方だった。お世辞にも綺麗とは言い難い床の上を上品に爪先が滑る。音楽に促されて、高揚する気分が乗った。
一つ、二つ、リズムが出来る。
「上手いじゃないか!」
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