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「ひどい」
恨みがましい声になったが、本心である。「真木さん、ふつうにひどい。前はもうちょっと優しかったのに」
「いつの話だよ」
「いつって……」
付き合い出す前の話になってしまいそうで、日和は口を噤んだ。認めたくない。
「しかも今ふつうに真木さんって呼んでるし。それでいいだろ」
「それでいいって……」
「嫌なら好きに呼んだらいいけど。基生でもなんでも」
ふっと笑った顔を見て、あ、これ完全におもしろがってるやつだと悟る。
――でも、渡りに船っちゃ船なのかな。
というかもう恥は晒したし、これ以上はないだろう。そう思い切って、日和はよしと小さく頷いた。
「も……」
「も?」
聞き返さなくてもわかるだろ。思ったが思うだけである。募りはじめた気恥ずかしさを誤魔化して、チャレンジを試みる。
「も……いや、あの、その」
「そんなに照れなくてもいいだろ。見てるこっちが恥ずかしくなってきた」
「ちょっと、最後まで付き合ってくださいよ!」
普段の根気の良さはどこに消えたんだ。おまけに思いっきり笑ってくれるならまだしも、笑っちゃ悪いとわかっているのに笑ってしまったといわんばかりである。
「悪かった、悪かった」
絶対に思っていなさそうな謝り方だったが不平を言う前に、手が伸びてきた。頬に触れた指先が、うつむきかけていた顔をくいと持ち上げる。
そして、触れるだけの軽いキス。
「智咲」
予想外のできごとに言葉を詰まらせた日和の唇に、その指が押し当てられる。
「おまえも言えたらするか? 続き」
勝てた試しはないし、これから先も勝てる気がしない。とはいえ「がんばります」と言う選択しか残されていないわけで。がんばるしかない。
よくできましたの言葉とご褒美のために、日和は口を開いた。
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