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「あ、いた。小鳥遊さん」
小鳥遊を呼んだその声の主は長身で黒髪の若い男だった。
擦り切れたデニムにシャツを着て、擦り切れたスニーカーが草臥れている。
「あぁ、茂吉さん。急にお呼び立てして申し訳ありません」
「見て欲しいものがあるって、ラフ案、何か不都合な点でもありましたか?」
まるで背に隠れていた私を披露するかのように小鳥遊は一歩横にずれ、片手で促す。
顔も声も知らなくても、小鳥遊が気を遣ってくれたのだと、一瞬にして分かった。
どうしようもなく零れてしまうそれは、小鳥遊の優しさのせいで気弱な心に沁みてしまう。
「さ、佐倉さん……」
泣き出した私に一番慌てたのは、他でも無い小鳥遊だった。
「サクラ……さん? って……もしかして……なん、で……今更……」
想像を遥かに超える美形だった彼はそう言って眉を歪めて、バツが悪そうに目を逸らす。
言葉にならない私の代わりに、小鳥遊が事故に遭った経緯を説明してくれた。
終わりたいと言っていたのだ、今更顔も見たくなかったかもしれない。
「……覚えてない?」
「すみません……三年程、記憶を欠損しています。貴方の事は……ラインの履歴を見て知りました」
「覚えても無いのに、何で……」
「……分かりません。でも、どうしても……会い……たくて……」
ただ会いたくて――。
記憶に無くても、心がこの人へと向かっていた。
胸の中に抜け落ちた様な穴があって、それを埋めてくれるのは彼だけだと知っていた様な気がする。
ただ会いたかった気持ちが熱を帯び、沸き上がり、溢れる。
「何……それ……」
言葉を切った彼の次の言葉を待って、おずおずと顔を上げた私を彼はしっかりと見ていた。
初めて見る「茂吉」は綺麗な二重をした女顔をクシャリと歪ませて「ごめん」と零し、節の目立つ長い指で私の頬を落ちる涙を掬いとる。
初めて会ったその人の手を取ってギュッと握り締めた。
震えてしまう。
でも胸の奥底でやっと明確な形を捕えたと言う安堵感が更に涙腺を溶かして行く気がした。
片肘ついた茂吉は「初めまして」と笑う。
「茂吉彰です。本当の名前、教えてよ、桜」
「……佐倉……環……」
あの日歩道の片隅に落とした幸せは、舞い戻り影の様な私と彼に光をくれる――。
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