第5部 Last Piece [現在]

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[49. 新風 ] 「北方副隊長がおみえです」 特別室の扉が小さく開き、外出に備え廊下で待機していた久米侍従部長からそう告げられる。 「どうぞ。入って下さい」 入室した北方副隊長が僕に向って小さく一礼する。 「先ほど生徒会役員選挙の結果が出ました」 「シーセント代表会議の指名どおりですね?」 「はい」 ()しくも夜会での暴行事件に西城隊隊員が関与したことにより、乾様の会長就任に対する西城隊からの反発は完全に抑えられ、約二週間にわたる選挙期間中、何らかの波紋が生じるような局面は一切なかった。 「また、西城隊からの報告で、新旧執行役員の臨時合同会議について開催の許可が下りたそうです」 「日程は?」 「10月23日です」 「では、西城様と更科様との三者会談は、予定通り来週水曜日で調整お願いします」 「かしこまりました」 ここまでは全てが計画どおりに進んでいた。 そして、未来を変えるための最も重要なステップが、この先に待ち受けている。 「大丈夫です」 目を上げると、北方副隊長が真剣な眼差しで僕を見つめている。 「北方さん……」 「必ずうまくいきます。山崎様には西城様、室井様、そして私たち親衛隊員がついています」 普段、個人的な発言を控える北方副隊長のその言葉に、軽い驚きを受けると同時に深い感謝の念が湧き上がってくる。 「ありがとうございます。……北方さんには副隊長という重職を引き受けていただいて本当に感謝しています」 親衛隊副隊長の経験を持つ僕には、その立場がどれほど多忙で重責を負うものか、嫌というほどわかっていた。本来なら長友さんを支えることに専念したいはずの彼が、山崎隊のために日々多くの時間と労力を割いてくれている事を思うと、申し訳ないような気持ちさえ覚えてしまう。 「私は山崎隊の副隊長になれて本当に良かったと思っております」 北方さんの口調に偽りの色は無い。 「山崎様にお会いしてから、長友隊長は変わられました。とても生き生きとされて、まるで、ずっと背負ってきた重い荷物を下ろされたかのようです……。あの方は、幼い頃からずっと、ご自分の血筋の重さに苦しんでこられました。陽平様の周囲にはその血統を利用しようとするものばかりが群がり、……あるいは最初は何も知らなかった相手でも、本当の身分を知ると皆、陽平様に対する態度が変わりました。……しかし、山崎様だけは違いました。真実を知ってなお、長友陽平という一人の人間として接して下さいました。陽平様にとって、それがどれほど大切なことか、ずっとあの方を近くで見てきた私にはわかるんです。陽平様が初めて好意を抱かれた相手が山崎様で良かったと、言葉にできないほど感謝しています。……先日、寺田部長がおっしゃったとおり、私も山崎様を心から誇りに思っております」 (「静流。俺は、乾のために生かされている。……俺が生きている意味は、ただそれだけなんだ……」) 突然、乾様の低く押し殺した声が耳元に甦る。 ――僕は。 (「真実を知ってなお、長友陽平という一人の人間として接して下さいました。陽平様にとって、それがどれほど大切なことか、ずっとあの方を近くで見てきた私にはわかるんです」) 北方さんの言葉が、胸の奥深くに突き刺さっていく。 僕は、あの頃、乾様の本当のお気持ちに寄り添えていただろうか? 北方さんのように、乾様が一番必要とされている事は何か理解していただろうか? いつでも自分自身の感情に振り回されることしかできなかった僕は……。 (「静流。好きだ。お前さえいてくれれば、俺は……」) 乾財閥の後継者としてではなく、乾隊の守護対象者としてでさえなく、ただ乾蒼という一人の男性としてのあの方を、僕は――。 ******* 「会議室までご案内させていただきます」 臨時合同会議に同席するため生徒会室へと赴いた僕ら三人に対して、受付にいた羽賀隊の副隊長は一礼した後にそう述べ、僕らに先立って通路を歩き始めた。 指定された時間より5分程早い到着だったが、既に新旧四役の引継ぎに関する議事は終了しているらしく、そのまま会議室へと通される。 長友隊長、北方副隊長とともに会議室の扉をくぐった僕は、その場に居並ぶ錚々たる顔ぶれに改めて身が引き締まるのを感じた。 現執行役員である佐々木会長、伏見副会長、甲斐書記、羽賀会計。新執行役員に着任する乾会長、西城副会長、天堂書記。そして、全守護対象者の背後には各親衛隊長が起立のまま控えている。 左右の上座には乾様と西城様がそれぞれ着座され、お二人に連なるようにして勢力順に守護対象者の席が用意されている。 「着席して下さい」 佐々木会長の言葉に応じて、僕らは用意されていた末席へと座る。 会議室内に数秒の沈黙が落ちた後、再びドアが開かれた。 「お待たせして申し訳ありません」 親衛隊長を伴って入室した更科様が、西城様の右隣に着座された後、議長である佐々木会長が口を開く。 「全員そろったので議事を進めます。――当会議の開催を要請された西城様から、今回の議案の要旨をお話し下さい」 「生徒会執行部の組織改編をこの場で提案したい」 会議室全体に緊張をはらんだ沈黙が落ちる。 生徒会の四役制度は海星聖明学園の設立以来、一貫して引き継がれてきた伝統ある組織体系だ。それを変えるという提案に対して、誰もが口を閉じるのは当然のことだった。 「……具体的にはどういった事ですか?」 佐々木会長が西城様へ問う。 「執行部に新しい職位『統合室長』を設ける。四役および各委員間の仲介・補佐および生徒会全体の調整役を行うポジションだ」 「……なるほど」 そう呟いた羽賀先輩が、西城様の方へ視線を向ける。 「決算期に事務方を臨時増員する時、四役各室が共同体制を組んだりしますが、あの態勢を常時整えるって事ですね……。確かにそれはいい案だと思います。四役や各委員の仕事量や情報量には偏りが出やすいですし、生徒会内で派閥争いがあったりすると、業務が分断されてかなりの支障が出ます。そういった歪みを調整する役、という事ですね」 「現在の生徒会において最も大きな問題点は、組織内の派閥抗争による弊害だ。そして、それを緩和させるためには、中立の立場で動くことが可能な明文化された権威が必要になる」 「会計における監査役のようなものですね」 納得したように羽賀さんが言う。 「ですが、現実問題として、敵対する守護対象者間の仲裁を行うというのは極めて困難だと思います」 佐々木会長の言葉に西城様が小さくうなずかれる。 「佐々木君が言うとおり、この案を成立させるためには欠かせない前提条件がある。……それは、新職位である統合室長には、四役に対抗しうるだけの強い権限を与えねばならない、という事だ」 室内に重い空気が落ち、西城様の言葉に潜む重要な問題を、この場の全員が理解したのだとわかる。 「……だから今日、このメンバーを招集されたんですね」 佐々木会長が思案気に言葉を続ける。 「卒業を控えた私たちまで、この面倒な事案に巻き込むわけですか」 嘆息するように言いながらも、その口ぶりはどこか楽しげにも聞こえる。 「新職位を名前だけの閑職にするつもりはない。つまり、学園の伝統に逆らってでも生徒会組織を抜本的に改革すると、西城様はそうおっしゃりたいんですね。……そして、そのためには、シーセント代表会議での形式的な可決では足りない。生徒全体から圧倒的な支持を得たという事実が必要だと」 「そのとおりだ」 一片の迷いも感じさせない厳然たる口調で西城様が答えられる。 今、この場に集っているメンバーは、新旧二期にわたる生徒会・風紀・反風紀の代表者達で、学園の最高権力のほぼ全てが此処に集約されているといっても過言ではなかった。 「……そして、西城様はその新職位に、山崎君を任命されたいのですね」 伏見副会長の言葉に、全員の視線が僕へと集まる。 統合室長となる者には、守護対象者間の勢力均衡を保つという卓越した調整力が求められる。それだけの重職に僕がふさわしいのか疑問視されるのは当然のことだろう。 「山崎君は今年の春に外部から入学してきたばかりで、まだこの学園の詳しい内情さえ理解していないと思うのですが、……なぜ今回の話に同意したのか、山崎君の意見を聞かせてもらえますか?」 優しく明晰な口調で、伏見様が僕に問い掛けられる。 この場に集う守護対象者と親衛隊長。彼らは、本当なら言葉を交わす事も許されないような雲の上の人たちだ。 それでも、僕は彼らに向けて伝えねばならない事があった。 「この学園は、学問的な教育水準も、施設や衣食住などの外的環境も、生徒の自治活動も、間違いなく日本で最も優れていると思います。でも同時に、僕はこの学園に決定的に欠けているものがあると気づきました。……それは、考える事、行動する事への自由です」 ゆっくりと言葉を続ける。 「我が国は戦後、巨大財閥群の圧倒的な力に牽引され、世界最大の経済強国にまで登り詰めました。その成功の要因は、財閥による効率的な企業組織と社会的身分階層の分化によるところが大きかったと思います。でも、僕はこの社会に対して、身動きが取れないほどの息苦しさを感じています。全てが統制され、定められた道から外れることが許されないこの国には、自由で柔軟な思想や革新的な発明を産むための土壌が失われてしまっているんじゃないでしょうか? 僕は、この国をがんじがらめに縛りつけている身分や血筋、門閥といったものを見直すべき時が来ていると思います。……そして、この国の未来を背負う海星聖明だからこそ、伝統という名の悪習に縛られることなく、新しい道を模索しなければならないと、そう思っています」 「社会の変革を口にするのは簡単だ」 その低く艶やかな声が、一瞬で辺りの空気を変える。 「だが、"新しい秩序を打ち立てるということほど難しい事業はない"」 この方が放つ圧倒的な存在感は、まさしく"君主"という言葉がふさわしい。 乾様に向って僕は小さくうなずいた。 「マキャベリの『君主論』ですね。……おっしゃる通り、改革は時に失敗と混乱を生み出します」 乾様が現在の社会機構を強く支持されるのは、豊かで平和なこの国の現状を守りたいがゆえなのだと、その施政を近くで見てきた僕は十分に理解していた。 「ですが、今、時代は急激に変わろうとしています。……アメリカを初めとする諸外国では、大学生など少人数の若者達が起業して革命的イノベーションを起こし、資本主義経済の仕組みそのものさえ変えようとしています」 (「一緒に、アメリカの大学へ行こう。……ここにいたら駄目になる。この学園も、この国も、歪みが広がり始めてる」) あの時、伸は僕に向ってそう言った。 現時点では予想もできない2年後の世界を、僕は知っているのだ。 「巨象が小さなネズミに倒される――世界経済はこれから、そんな激動の時代に入っていきます。巨大財閥がこのまま古い体制のみを維持しようとするならば、彼らは技術革新の流れから取り残されてしまうでしょう。……今、我々は根本的な改革を必要とする歴史的転換期を迎えていると、僕はそう思います」 辺りに緊張の糸が張り詰めるのがわかる。 僕は今、乾様の持論である現体制維持に真っ向から対立する意見を述べているのだ。 だが僕には、生徒会改革の必要性を訴え、新職位に僕が就く事を提案した時、乾様はその案を支持して下さるという確信があった。 乾様のあの"夢"がどこまで進んでいるのかはわからない。だが、激変する世界経済の渦に巻き込まれながら衰退へと進み始めるこの国の未来を、僕と同じように乾様も知っているはずなのだ。さらに、乾様は僕がただの外部入学生ではない事を知っている。本当の僕は、乾様の側近として2年以上もの間、親衛隊活動と生徒会運営の中核を担ってきた人間であるという事を。 「……体制を正しく維持しようとする者は、そのシステムが形骸化してしまう事を何よりも恐れなければならない。歴史上、社会体制が崩壊するのはいつでも、権力を持つ愚か者たちが既得権にしがみつき、社会システムが中身の無い箱ものに成り下がった時だ」 そう言い放った後、乾様が微かな笑みを見せられる。 「俺も、優斗の案に賛成だ」 ザワッと場の空気が動く。 「口うるさい卒業生のお歴々を納得させるためには、この場にいる全員の賛同が必要だろう。……佐々木、全員の決を取れ」 「はい」 乾様の指示に対して、佐々木会長が首肯する。 「私は現生徒会長として、西城様のご提案に賛成します」 そう宣言した後、更科様へ問い掛ける。 「更科君」 「今期および来期の風紀委員長として、西城様のご提案を支持します」 「天堂君」 「次期書記として、私も今回の案に賛成です」 「伏見君」 「現生徒会副会長として、賛成致します」 「羽賀君」 「はい。今期および来期会計として、俺も全面的に支持します」 「甲斐君」 「現書記として、皆様と同意見です」 わずかな間をおいて、佐々木会長が末席に座る僕らへ目を向ける。 「……さて、最後は反風紀代表の二人だが、そももそ反風紀は風紀委員が決定するあらゆる事案に反対の立場を表明するはずだが、どうする?」 「おまえ、本当に面倒臭いやつだよな……」 長友隊長が呆れたように言う。 「では、意見を述べてもらおう」 笑いを噛み殺すようにしながら、佐々木会長が先を促す。 「長友君」 「……前反風紀代表として、西城様を支持します」 口調を戻して長友さんが答える。 「北方君」 「反風紀代表代行として、生徒会組織の改編に賛成します。……また、反風紀は今後、山崎隊の傘下に入り、全面的に山崎様を支持します」 その発言に、生徒会役員メンバー及び彼らの背後に立つ親衛隊長達が一斉に驚きの表情を見せる。 全ての自治組織に対して完全なる独立を宣言してきた反風紀が、一親衛隊の傘下に入るという異例の事態だった。 「"台風の目"だな……」 沈黙を破ったのは、乾様だった。 「山崎隊は、海星聖明に嵐を巻き起こす台風の目だ。……その嵐が良い風を起こすものか否か、ここにいる守護対象者は精査し続ける義務がある」 厳しさを宿すその台詞に、僕は改めて姿勢を正された思いがする。 (「この学園のどの組織も、守護対象者を中心に自分達の力を拡大する事にばかり必死になっている。だが生徒会だけは、複数の守護対象者と親衛隊が力を合わせて責務を務め上げる例外的な組織になり得る」) 1年半前の冬、副会長室で西城様がおっしゃったあの言葉を、僕はずっと忘れることができなかった。 乾隊内部、そして親衛隊間の醜い権力争いに明け暮れながらも、生徒会という組織がこの学園を変えるための(いしずえ)になりうるのだと、その言葉が僕の中に小さな希望を宿してくれたのだ。 そして今、多くの人達の助けを借りながら、僕はまた一歩、前へと進むことができた。 だが、進むべき道は遥かに遠く、そして険しい。
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