散歩がてら

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散歩がてら

 三年間付き合った恋人と別れた。  ちょっとした口論から別れ話になり、恋人と離れるために引っ越しをした。  するととんでもない寂しさがやって来た。  好きだった人が生活からいなくなるのはやっぱり寂しい。  俺は会社の帰りに一人分の食材を買い、キッチンで一人で料理をし、一人で食べながら思った。 「そうだ、犬を飼おう」  犬を飼うと旅行に行きづらくなるとか散歩に毎日行かなくてはいけないとかネガティブなことが浮かび躊躇していたがそんなことはもうどうでも良くなった。  もう俺は犬にこの寂しさをどうにかして貰いたいという気持ちで頭がいっぱいになってしまった。  休日になるとさっそくワンちゃん探しに出かけた。  ペットショップを数件回る。  普通は犬種だとか値段だとかを見るのかもしれないが、俺はどの子が一番俺の寂しさを慰めてくれそうかという目でしか見られなかった。  百九十センチの俺がしゃがみ、ガラスにへばり付いて一匹一匹を凝視しているのは異常に見えるかもしれない。 (くそ、どいつもこいつもかわいいじゃねーか)  とても俺には選べそうにない……。 「どの子がお好みですか?」  犬の絵が入ったエプロンをした女性店員に聞かれた。  俺はガラスにへばり付きながら思案しているふりをした。 「そ、そうですねぇ……」 (どいつもこいつも好みだ……!)  俺は節操なしに成り下がってしまっていた。 「この子はどうですか?」  店員が指差したガラスの中を見る。  白いフワフワの犬が飛び跳ねていた。 「トイプードル。人気あるんですよー」 「…………」 (かわいい……)  俺の無言を否定と取ったのか、店員は場所を移動した。 「じゃあこの柴犬はどうですか?」  次に指差したガラスの中は薄茶色の毛玉がスヤスヤと眠っていた。 「…………」 (かわいすぎる……) 「じゃあこの子は? 生まれてまだ二ヶ月のチワワです」  その次のガラスの中では黒い毛に覆われた小さな体につぶらな瞳をキラキラさせた犬がこちらを見ていた。 「…………」 (……この子は……)  見た瞬間、前の男を思い出した。なんだか雰囲気が似ているのだ。  きっと最初は俺をキラキラとした目で受け止めてくれるが大きくなると俺を足蹴にするようになるだろう。  そんな予感がする。 「……今日はやめておきます」 「そうですか……」  そして俺はまた一人の家へ帰ったのである。 「どうしたんすか藤間(ふじま)さん。犬の動画なんか見ちゃって」  後輩の山田に声を掛けられた。 「ストレスが溜まると見ることにしてるんだ」 「ちょっと、まだ朝ですよ! まだ仕事始まってませんよ!」  俺は山田を無視をして動画を見続けた。  昨日は一人で眠るベッドがあまりに寂しくて眠れなかった。  おかげで眠くてストレスMAXだ。 「ほらっ朝礼始まりますよ!」  山田に肩を叩かれ仕方なく立ち上がった。  部長の声が響く中、俺の頭の中はさっきの水をペロペロと舐める柴犬が再生されていた。 (やっぱり柴犬にしようかなぁ……) 「橋本課長の異動に伴い、今日からこの課に配属されることになった坂本満(さかもとみつる)課長だ」  その声に頭の中のペロペロが一瞬で消えた。  目の前には俺より十五センチは背の低い一歳年下の上司がいた。 「今日からこちらに課長として配属されました坂本です。よろしくお願いします」  下げた頭を元に戻す。  艶のある黒髪がわずかに揺れた。  黒目がちな目は相変わらず、キラキラと輝いていた。  朝礼が終わり、自分の机に戻ると隣の山田に宣言した。 「……決めたぞ」 「何をですか?」  自分の机を睨みながら答えた。 「俺は犬を飼う」 「はっ⁉」 「今日俺は犬を飼う」 「今日⁉」 「黒毛のチワワ」 「へぇ……」 「そんでこれでもかってくらいかわいがってやる!」 「それってわざわざ宣言することですか?」  山田の呆れた声が返ってきた。
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