約束は、たまごサンドの後で

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「この店に来るのも久しぶりだな」  店の前には「喫茶店フラワー」と黒い文字で書かれた看板が立っている。俺が結婚する前によく通っていた、お気に入りの店だ。  当時、仕事がたまたま早く終わった俺は、以前から気になっていたフラワーに入店した。  店内は白を基調とした内装で、照明も落ち着いていた。かなりオシャレな雰囲気で、俺のような汗臭いサラリーマンは一人もいない。  戸惑って入り口で立ち往生していると、 「いらっしゃいませ!」  一人の女性店員が声をかけてきた。  小動物を思わせるくりくりした可愛らしい目と、目の下の泣きぼくろ。ふんわりとした髪。優しそうな人だと思った。いわゆる一目惚れである。  勇気を出して会話をしてみると、自分でも驚くほど意気投合した。共通の趣味に映画鑑賞があったことや、歳が近かったことが、仲良くなれた要因だろう。  俺は喫茶店フラワーに通うようになった。いつしか彼女と休日に会うようになり、徐々に仲を深め、めでたく交際するに至る。  そして、その彼女こそ俺の妻――隣で笑みを浮かべている恵子だ。 「出会った頃のあなた、かっこよかったな」 「おい。今はかっこ悪いのかよ」  抗議すると、恵子は「冗談だってば」と、八重歯をちろっと出して笑う。四十歳目前だというのに、子どものような無邪気な笑い方は昔から変わらない。  さて。この店に来た最大の目的は、たまごサンドの作り方を教えてもらうことだ。  最近、恵子は食事を取らなくなった。そのせいか肌の色も青白い。このままでは良くないと思った俺は、夫婦の思い出の味なら食べてくれるだろうと考えたのだ。
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