思い出になれない犬

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中学校の卒業式を終えてからまもない、3月の春休み。高校進学へ向けての準備に追われていた僕に、思いがけない入学祝いが届いた。パート先の同僚から、母が子犬を貰ってきたのである。もし貰い手がみつからなければ、山林に捨てにいくと聞かされた母は、その子犬の運命のあまりの悲惨さにいてもたってもいられず、4匹いるうちの1匹を選び(1匹だけを選ぶこともまた心苦しいことだったが、せめて1匹だけでもと)、家に連れ帰ってきたのである。生後およそ2週間のため、目もよく見えていない。もこんもこんと自動で動く茶毛の子犬の、黒豆のような鼻先に、僕が恐る恐る指先をさしだすと、恐る恐るその匂いを嗅ぎ、たどたどしく舐めたりかじったりしている。そのなんとも表現し難い愛くるしい姿を、初めて生で見た僕にとって、その瞬間こそ、長い間みていた夢が叶った瞬間となった。 小学生の頃から、犬はもちろんのこと生き物が好きだったので、道端に落ちていた瀕死の雀を発見しては、躊躇なく家に連れて帰ってくる子供だった。両親からしてみれば大層迷惑な子供だったにちがいない。しかしいま思えば、その迷惑行為のどれもが「犬を飼いたい!」という一念から端を発した行為だったのだと思う。けれど当時は飼える環境ではなかったし、たとえ飼えたとしても、子供の僕には満足に犬の世話はできず、結局は両親の家事や出費の負担がふえてしまうであろうことも、両親は計算していたのだろう。そのような意味でも飼える状況ではなかったのである。 犬を飼うことを諦めきれない日々は続き、飼えない僕の鬱憤は、別の生き物を飼うことではらされることになっていった。傷ついたジュウシマツ、川で捕まえたクサガメや田んぼで捕まえた金魚、カマキリの卵、ヤゴ(ギンヤンマの幼虫)、王道のカブトムシなどと、しだいに昆虫類にまで手をのばしていった。そのおかげで当時住んでいた家の敷地内には、短命な彼らの墓碑が点々と建っていった。 犬を飼えないまま時はすぎ、中学校へ進学すると同時に隣町へと引っ越すことになった。新たな町。見知らぬ同級生との関係。勉強と部活動。環境の変化への対応に忙しくなり始めると、僕の『犬を飼いたい願望』はしだいに影を潜めていった。けれど夕暮れ時、隣近所のひとが犬と散歩をしている姿を見たり、塀の向こう側から鳴き声が聞こえたりすると『犬に触りたい願望』は、しっかりと僕の心にわくのであった。
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